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  • FUKUOKA BEAT REVOLUTION

THE MODSの偉大なるターニング・ポイント――1989年のパンク・ロック森山達也 回復祈念Ⅱ 35年前の肉声を再録!

更新日:3月20日

THE MODSに偉大なるターニング・ポイントがあるとしたら、1989年ではないだろうか。同年5月8日、東京・渋谷公会堂で行われた『アスファルト・ジャングルの上の独立記念日』はレイドバックモードから戦闘モードへシフトチェンジ。自らの初期の名曲達を披露し、1時間にも満たず、疾風のようにステージから消えた。平成バンド・ブームに浮かれる日本のロック・シーンに放たれた強烈な一撃である。その年の12月21日、2枚目のデビュー・アルバムとでもいうべき、『NAPALM ROCK』を投下した。おそらく1989年の彼らのこの決断と行動がなければ、日本のロック・シーンはつまらないものになっていたかもしれない。彼らの活動は多くのロック・キッズ達へ勇気を与えた。その後、1991年から1994年までの「SCARFACE YEARS」もなかっただろう。そして、この3月30日(土)に東京・代官山「UNiT」で行われる『THE MODSを止めるな!~Roulette Ball~』は、そのTHE MODSのリーダー、森山達也のためにたくさんの仲間達が駆け付ける。


残念ながら、森山達也はまだ療養中で、回復記念とはならず、回復祈念になるが、仲間達がTHE MODSの歌を歌い継ぐ。その日は森山の誕生日、68歳になる彼への最高のバースデイプレゼントなるはずだ。


1989年のTHE MODS、森山達也は何を決断し、どう行動したか――そんな時代を切り取ったインタビューが見つかった。当時、“音楽雑誌”としては最高の部数を誇った『宝島』(当時は「JICC出版局」、現在は「宝島社」)の1990年1月号に森山達也の発言が収録されている。空前のバンド・ブームの中、思い悩むバンドマンやロック・ファンの心を揺さぶり、彼の言葉に力をもらった方も多いだろう。宝島社とROCKAHOLICのご好意で再録が可能になった。改めて感謝である。


なお、当時の記事の複写と、同記事をテキスト化したものを掲載している。テキストは一部修正、加筆をしている。年号やタイトルなど、最小限に留めている。ただ、35年前の入稿の際、本来は入るべきものが、手違いで掲載されなかった原稿を付記している。ご了解いただきたい。




             『宝島』1990年1月号(宝島社)


LONG INTERVIEW

森山達也 THE MODS


すべてのビート・パンクはモッズから始まった。彼らのデビュー・アルバム『FIGHT OR FLIGHT』は数多くのロッカーに影響を与え、それを新曲としてコピーするバンドさえ出てきている。異常なバンド・ブームの表層から身を引いていた彼らだが、再び最前線に戻ってきた。2枚目のデビュー・アルバムをひっさげてだ。



「俺はパンクを信じているから、『NAPALM ROCK』を作った」

1989年のパンク・ロック




■取材・文 市川清師 撮影 岡野嘉徳(P35 )、ハービー山口(P36 )




今、 これを書いている時点では、 まだ1990 年にはなっていない。 この号が発売されるのが、 1989 年 12月10日なのだから、当り前である。 ただ、 1990 年の新年号の記事でタイトルを 「1989 年のパンク・ロック」 とするのは編集的な観点からすれば、 あまり褒められたことではない。 嘘でもいいから” 1990 年の――"とすべきだろう。 だが、 しかし僕はあえて 89年にこだわりたかった。


それは昭和天皇の死去もリクルート疑惑も政界スキャンダルも幼女連続誘拐殺人事件も中国の天安門事件もベルリンの壁の撤去も東欧の自由化もすべてが1989年に起ったことだからだ。


大林宜彦監督は 「北京的西瓜 」 で1989 年 6 月 4 日の中国の天安門事件を 37秒間の空白のフィルムによって 「表現」した。 U2 のボノは東京ドームのコンサートで「ラブ・レスキュー・ミー」 を中国やチェコ、 ベルリンの自由のために戦う人達に捧げた。 そして、 モッズは 『NAPALM ROCK』を作った。


森山達也は“世界が悪くなるほど必要ROCKN’ROLL”と歌っている。1981年に 『FIGHT OR FLIGHT 』 でデビューしてから、 常にロック・シーンの最前線に立って、 状況と格闘してきたモッズだが、 ここ数年はむしろ楽しみながら、 ゆとりを持ってロックするようになってきた。 かつては全国 100ヵ所もの会場を休むことなくまわったコンサート・ツアーもバンコクや香港での単発的なものだけで、 日本ではほとんど行わなくなってしまった。 そうした中から生まれたのが1988年発表したルーツ・ロックを極めた名盤 『EASY COME EASY GO』である。


このまま成熟したロック・バンドとして、 マイ・ペースの活動をしていくのかと思われていた彼らだが、 モッズが最前線に帰ってきたことを教えてくれたのが1989 年5 月 8 日、 渋谷公会堂での久々のコンサート(『アスファルト・ジャングルの上の独立記念日』)だった。


森山はそれまで長かった髪を短く切り、ディップで固め、黒いレザーに身を包む。まさに“レイドバックモード”から一転、“戦闘モード”になる。そして 初期のアルバムからパンキッシュで速いビートのナンバーをたたみ かけるように演奏。 その衝撃は、 デビュー時のモッズを彷彿させるものがあった。





そして、 6 月のコンサートで新曲 「NAPALM ROCK」を発表。さらに『FIGHT OR FLIGHT』を作ったロンドンで、『NAPALM ROCK』をレコーディング。 その新作は12月21日に発売される。


1989年は良くも悪くも何かが動き出した年である。そして、また、モッズも動き出したのである。



――すべての始まりは5月8日のコンサートだったと思うんだけど、ああいう形のものをやろうとしたきっかけは?


森山 それまで何もやってなくて、東南アジアとか、いろいろあっちこっち行ってたんだけど、日本に帰ってきて会う人にロック・シーンが盛り上がってるよっていわれて。見渡すと確かにバンドの数が多くなって、セールスだってちゃんと取れる時代になったと思う。でも俺はなんか違うんじゃないかって感じて。自分たちが作り上げ、目指してきたロックとまったく違うっていうのがあって、モッズのすごさっていうか、必要な部分をすごく感じたわけ。俺たちみたいなロックがないとつまんないというか、ただ楽しい、かっこういいだけじゃなくて、ある意味で叩かれ、褒めたたえられる、そういうものを提供してあげられるバンドって、あんまりないし。社会っていえば大袈裟だけど、それをテーマとして取り上げるバンドもそんなになかった。そういうことで、俺たちがやんなきゃっていう部分と、フッと振り返った時にデビュー当時のアルバムって今でも充分に時代を映してるし、逆に今こそ歌う必要があるって感じたわけ。それがきっかけでやろうという意欲が起きてきて、それでライブをやることを決めた。それからスタートしたね。でも、あれは本当に一番モッズのベーシックなライン。 ダイヤモンドというよりも石炭の原石みたいなもので、わずか1時間しかやんなったけど、これぞモッズの根底に流れているロック。あのライブを見て、みんな考えてくれたと思う。



――「NAPALM ROCK」を初めて演奏したのは6月のチッタ川崎(6月15日『Welcome To The GARAGELAND』)と有明のMZA(6月16日『Welcome To The GARAGELAND』)でしょ。僕はMZAを見たんだけど、オープニングに幼女連続誘拐殺人事件の被害者のスライドが流され、舞台一面には様々な事件を報じた新聞が貼ってあって、MCで中国の天安門事件のことに触れてから「NAPALM ROCK」をやった。5月からたった1カ月しか経ってないけど、時代は確実に動き出している。


森山 不思議なもんだね。さて、やろうかって時には何も決まってなかった。その時、日本ではリクルート問題とかあって、政治が不安定な状態で、総理大臣なんてころころ変わっていた。で、隣の国では若い連中が動き出して、ああいうことが起こった。すべてがダイレクトに入ってくる。だから俺たちがやろうとした時と時代がマッチングした。それで感じたことを歌うべきだと思った。それで詞書いているうちに「NAPALM ROCK」とか、「S・O・S」とか、「CONTROL CONTORL」っていうのができた。それから初期のナンバーでも今伝えたい気持ちに一番近い曲をチョイスすれば自ずと初期に戻ったみたいになるよね。でも俺たちは初期に戻るというよりも、初期のナンバーが8年間、時代を超えて色褪せてなかったというすごさに驚いた。ヒット・チャートに乗った曲は懐かしいなって部分もあると思うけど、ヒット・チャートに乗れなかったバンドの強みだよね。勿論、モッズのファンにとっては「ご・め・ん・だ・ぜ」とか、懐かしいなっていうのはあると思うけど、初めて聞いた連中にとっては今のこととしてもまったく合うわけだしね。本当のこといったら『EASY COME EASY GO』出して、たいしてコンサートやってないんで、曲だけでいえば「エンジェル」だっていいナンバーだと思うから、ああいうのをやりたいし、やってあげたいっていうのもある。でも、それ以上に「ご・め・ん・だ・ぜ」をやりたいという気分が勝っているわけね。なんでかっていうと、それに今の時代を感じる。だからその衝動をそのままステージに出したいし、レコードに叩きつけたいっていうのがあるよね。俺たちができるっていうのは人間が最初に持っている生々しさ、汗とか、叫び――それを出すのがモッズの一番美しいとこっていうか、それをやらなくなったらモッズっていうのは普通のバンドになってしまう。



70年代後半、パンク・ロックが出るまで、ロックは夢物語の時代だった。パンク・ロックが出て現実を歌いだした。


――ライブを見て思ったのは、 もう 1 回、若い視点を取り戻そうとしてるっていうことなのね。その"若い"っていうのは若者なら持っている感受性ってあるでしょ。大人になればなるほど、人生や物事に対して何故なんだろうという疑問を抱かなくなるよね。それでパンク・ロックっていうのはロックが産業化していく中で、ノーといったけど、それに通じるものがあるでしょ。


森山 そこっていうのが俺たちの基本ラインね。このモッズを作った基本ラインがそこにあると思う。まさに「崩れ落ちる前に」って歌でもわかるようにね。現実に対して疑問を持ったことから始まる。クラッシュがデビューした時に向こうの新聞記事で“クラッシュは時代を映す鏡だ”って書かれていた。70 年代後半って、パンク・ロックが出るまで、 ロックがビッグ・ビジネスになって、 夢物語・プラス・ロックンロール・バビロンみたいな時代だった。ところが、パンク・ロックが出現して、現実を歌い出したよね。それって危険な部分はあるけど、重要なことだと思う。間違ってもいいから、自分が感じたことをまず言葉にすべきだし、そうやっていくうちに間違ったなってことだってわかってくる。それでいいと思う。


――「NAPALM ROCK」っていうのはパンク・ロックを再検討して、今の時代に提示したものだと思う。パンクが生まれた時、イギリスだから必然性があったけど、日本では必然性がないっていうエクスキューズがされたけど、むしろそれが今やリアリティーを感じられる時代になってきているでしょ。



森山 俺自身も感じたね。ロンドンへ行ったらパンクなんかもういないけど、 残党はいっぱいいる。 こいつら好きでやっているというよりも、 死ぬまでパンクやるだろうみたいな連中なのね。 イギリスのロックがファッショナブルになって、 それに対しておしゃれになりたくないからパンクする。 時代遅れかもしれないけど、しかたないわけよ。 それって、 はじき出されたやつの現実よね。でも、 きっと俺は、姿かたちは変えるとしても、 イギリスではそういう動きが、 また生れてくると思う。 日本だって、 マスコミの最初の捉え方はどうしてもパンク・ファッションだとかが取りざたされたけど、本当にパンク・ロックが好きで、 それをファッションじゃなくて、 生活のあり方からパンク的なやつだっている。 本当に何故っていうところから始まる自分のスタンスは、すごいパンク的な発想だしね。 やっばりそれを持っているやつがいっばいいると信じているから、 こういうアルバムを作っている。 信じてなかったらきっと作らないと思う。



――ロンドンでレコーディングしたわけだけど…。


森山 俺にしてもメンバーにしてもしばらく行ってなかったから、 いったいロンドンはどうなっているんだろうかっていうのを知りたかったのと、こう新たな気持ちでやるという時にロンドンへ行って、思い出の街でもう一回、レコーディングするのもいいかなと思って。ロンドンに行ったら『FIGHT OR FLIGHT』のジャケット撮影した場所に行ってみよう、クラッシュがリハーサルした倉庫に行ってみようとか、俺たちだけの思い出の場所というのがあって、 変わってないところもあれば、 変わっているところもある。 そういう部分っていうのはいろんなことを思いださせてくれるよね。 ようするにバンドを長くやってると、 ある程度こつを覚えて、 いい加減になるところあるわけ。 安易にこうやれば大丈夫みたいな。 今回そういうふうなことをやりたくなかったしね。 そういう意味でロンドンっていうのは必要だった。



モッズとそれを信じてついてきてくれるメンバー、スタッフ、ファンに感謝している。それがなかったらやめていたと思う。



――このアルバムで歌っていることは意識的な人ならわかることだと思うけど、今、 時代が大きく動きつつあるのにアルバムのタイトル・トラックの歌詞で“話そうともしない 隣の国の戦争(アラソイ)を 聞こうともしない隣の国の泣き声を”と歌っているように無関心な人もいるわけでしょ。


森山 本当に中国のことなんかがあって、なんで考えないのかって思う。 若い連中が動いて、 血流している。 政治的な背景っていうのが 100 %わからないにしても、 そういう事実に対して、 なんかこう感じることがあると思うわけよ。 ようするに中国を歌えっていうんじゃなくて、 それに感じた何かを歌えってことなのね。リクルートどうのこうのにしても、政治家とか、あの連中は金集めのためにやっているなんていうのは見破っているよ。もう信用なんかないわけよ。 そこで若い連中がどうでもいいやみたいな発想になるよね。 でも、それによってふりかかってくるわけじゃない。 例えば消費税にしたって、 百円だったやつをその感覚で買いにいったら、百円じゃ買えなかった。 それに対して冗談じゃないと感じたら歌えばいいしね。


――「S・O・S」では地球の環境破壊のことを歌っているけど、原発や熱帯雨林、酸性雨などの問題も、やはり実感としてある?


森山 やっぱりチェルノブイリから始まったかもしれないけど、 身近に起きつつある。 日本では大事故にはなってないけど、 そういう問題というのはこの先、ものが発達していけばいくほど、 反動っていうのはくるわけよ。 その時にどうあるのかってね。 そのためにもまずはこういうことが起きているんだぜみたいな意識を植えつけていかないと。


――10月14日の日比谷野音の“ロンドン・ナイト”のイヴェントで、 モッズが演奏する前に大貫憲章さんが MC でロック・バンドをやっているのは多いけど、 責任を持ってやっているのはモッズだけだって言った。 ロックをやり続けることの費任?


森山 やっとこの年齢になって、 大事なことをしてるんだって、わかったよね。 俺たちは天から与えられた選ばれたバンドだと思う。 ミュージシャンになりたいやつはいっばいいるけど、 俺たちよりうまくて才能があってもプロになれない連中はいるしね。やっぱり俺なんて福岡で指おりの勉強が好きじゃない連中が行く学校を卒業して、他にとりえがなく、働くことも嫌で何が好きかっていったら酒飲んで騒ぐことぐらいなわけよ。 極端にいったらダメの典型的なタイプやった。でも音楽にたまたま出会った。 最初はつっぱってやってたと思うよ。 どうだみたいなね。 段々やっていくうちにファンの子とか増えだして、 ファンレターとか、街で会ったりとかして、初めて、ギター持った瞬間は一生懸命やらなくちゃ、 意味があることをやってるんだっていうのを感じたね。 確かにここ 2 、 3 年はどうしようかなっていうのはあったけど、 最近になって、 また真剣にやらないとダメだと考えだしたのは、 自分のやってることに対してのプライドに気づいて、 その意味がわかったから、 なんか力が蘇ってきた。 やっばりモッズに感謝してる。 それと、 それを信じてついてきてくれるメンパー、 スタッフ、 そしてファン。 それがなかったら、 きっとやめて、 のんびりやってたと思う。



やはり僕もモッズに感謝している。 彼らを初めて見たのは、 もう 10 年も前のことだ。1979 年 7 月、 福岡スポーツ・センターで行なわれたあるコンテストに彼らがゲスト出演していた時だった。 おそらくその出会いがなかったら、 僕は 「ここ」にはいなかっただろう。 ジョン・レノンの遺作 『ミルク&ハニー』 の中に 「GROW OLD WITH ME」 というナンバーがある。 ジョンは “GROW OLD ALONG WITH ME  THE BEST IS YET ME”と歌っている。ともに成長し、最良の時はこれからだ、というメッセージだ。僕はモッズとともに育った。


『NAPALM ROCK』 は、 モッズがもう一度原点に帰って作り上げた 2 枚目のデビュー・アルパムである。 そこには”1989 年のパンク・ロック “がつまっている。 つまらない大人になることを拒否し、 いつまでも疑問符をかかえた子供でいること――あまりにも使い古された言いまわしだが、 そのことの意味をもう一度考えてみたいと思っている。


音楽に過剰な期待をかけるのは危険である。ボノがいうように音楽は世界を変えることはできない。 しかし人を変えることはできるだろう。 パンク・ロックをもう一度信じてみたい。


そして、 僕はモッズの 『NAPALM ROCK』のサンプル・テープが届いた次の日、 30 歳を過ぎて、 いつのまにか分別くさくなった顔とさよならするために5年間生やした髭を剃った――。





THE MODSを止めるな!~Roulette Ball~


2024.3.30(土) 代官山UNiT


THE MODSを止めるな!~Roulette Ball~


ARTIST:

北里晃一·苣木寛之·佐々木周(THE MODS)


GUEST ARTIST:

Kozzy Iwakawa (THE COLTS·THE MACKSHOW) / 増子直純 (怒髪天) / 武藤昭平 (勝手にしやがれ) / たちばなテツヤ (sparks go go) / TAISEI (SA) / 高木克 (SOUL FLOWER UNION) / 甲田“ヤングコーン”伸太郎 (BLOODEST SAXOPHONE) / AKIRA (Luv-Enders) / Yama-Chang (THE COLTS)



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