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THE MODSの苣木寛之、 Epiphone Texan(エピフォン・テキサン)と旅をする

  • FUKUOKA BEAT REVOLUTION
  • 3 日前
  • 読了時間: 6分

THE MODSのギタリスト、苣木寛之のソロプロジェクト「DUDE TONE」のHPに「DUDE TONE 8月2日(土)新横浜 strage公演 延期のお知らせ」が掲載された。苣木寛之の増殖性硝子体網膜症の手術のため、開催が延期されるという。増殖性硝子体網膜症とは網膜色素上皮細胞から神経網膜が剥がれている網膜剥離や、高血糖により網膜の血管に異常が起きている糖尿病網膜症が悪化して起きる病態らしい。いずれにしろ、眼科系の重篤な病気で、手術が必要のようだ。



Photo by 朋-tomo-


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苣木は手術のため、上記の公演を延期にした。その後、長い静養期間に入るかと思ったら、『DUDE TONE LIVE 2025 “Walkin’ Blues” Vol.10』は同公演以外は予定通り、行われた。


8月9日(土)名古屋 「Live & Lounge Vio」、8月11日(月・祝)大阪南堀江「knave」、8月23日(土)熊本「ONE DROP」、8月24日(日)福岡 「LIVEHOUSE CB」、8月30日(土)東京南青山「MANDALA」と、無事にライブを終えている。延期になった 8月2日(土)新横浜「strage」は9月27日(土)に同じく新横浜「strage」での振替公演が決定している。


ただ、9月13日(土) 横浜FRIDAYにて開催を予定していた、苣木寛之(THE MODS)/ 武藤昭平(勝手にしやがれ)出演の「横浜FRIDAY スペシャルライブ」公演は、苣木寛之の増殖性硝子体網膜症治療のため、開催が中止になった。残念なことだが、8月30日(土)のライブ後、苣木は2回目の手術を受けている。


この1カ月に2回の手術。それがどれほど、過酷かは想像に難くない。しかし、彼はそれでもやりきる――そんな覚悟と決意を8月30日(土)に東京南青山「MANDALA」のライブを見て、感じた。その日、ステージに現れた苣木はどこか、足元がふらつき、セッティングなどもおぼつか無い。長袖のシャツを着ているからわかりにくいが、少し痩せたようにも感じた。実際、ステージ後半、アンコールでTシャツになったが、やはり幾分、ほっそりとしていた。そんな彼を支えたのは彼の仲間だった。SNSなどでもそのことが報告されている。しかし、そんな先入観は禁物。演奏が始まれば、いつもの苣木寛之である。DUDE TONEの音楽を私達に届けてくれるのだ。


まだ、新横浜「strage」の振替公演が残っているので、セットリストなどは公開できず、隔靴搔痒の思いをさせてしまうかもしれないが、苣木寛之の今回の旅の意味などは伝わるのではないだろうか。


DUDE TONEのナンバーやお馴染みのナンバーも披露されるシリーズライブ“Walkin’ Blues” は回を重ね10シーズンになる。花田裕之の“流れ”に影響を受け、実際、苣木は同ライブに足を運び、花田にも相談に行っている。バンドのラウドサウンドではなく、アコースティックギターで歌に向き合い、同時にその旅を住処とする。いま、多くのバンドマンがソロでアコースティックギターを抱え、全国を回っているが、そんな場所に苣木も身を置いた。特にマネージャーもつけず、独立独歩の姿勢でやり遂げる。同シリーズライブを始める以前はアコースティックギターが苦手で、ギターそのものもちゃんとしたものも持っていなかったという。レコーディングなどは森山達也のアコギを借りていたそうだ。苣木ほどのミュージシャンがアコギが苦手というのも意外なことだが、THE MODSのギタリストであることに拘るならアコギまで手が回っていなくても仕方のないことかもしれない。



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苣木は、彼の相棒である愛器「エピフォン・テキサン』を2001年6月20日にリリースしたTHE MODSのアルバム『RISING SUN』のレコーディングのために訪れたロンドンで出会い、買っている。デビュー20周年にして29枚目のアルバムになる同作はデビューアルバム『FIGHT OR FLIGHT』を録音したマトリックススタジオにて20年ぶりにレコーディング及びTDを行っている。アルバムジャケットはクラッシュのポール・シムノンの絵が使用されている。そんな曰くある土地で、曰くある場所で録音したアルバムの制作時に出会っている。特に彼は口にしていないが、運命みたいなものを感じたのではないだろうか。それからエピフォン・テキサンは彼の旅の友となる。ちなみにエピフォン(Epiphone)は、ギブソン社傘下のギターブランド。1920年にバンジョーメーカーとして創立。1930年代にギターを生産を開始。1957年にギブソンに買収され、ギブソンの系列に加わる。エピフォンテキサン(Epiphone Texan)はポール・マッカートニーやピーター・フランプトン、ノエル・ギャラガーなどが使用していることでも有名だ。


ヴォーカルとギターが一心同体になる。苣木は溢れ出る思いを込めつつも、勢いに流されることなく、実に丁寧に繊細な弦捌きで、彼のブルースを奏でる。ただ、掻き鳴らせばいいというものではない。過酷な手術をやり遂げ、仲間の助けもあって、ステージに立てた。その喜びを心のうちに忍ばせながら歌と演奏で思いを解き放つ。


この日は病気や手術などのことも話された。術後、病床ではうつ伏せで寝続けなければいけないという。それが何日も続く。また、手術してもすぐにちゃんと見えるわけではなく、焦点なども合わなかったそうだ。手術は成功したものの、2回目の手術をしなければならないという。振替公演の前に当初の最終日である東京・南青山「MANDALA」を終えて、すぐに手術が待っている。そんな状況でのライブである。肉体的にも精神的に不安定な状態にあるにも関わらず、彼はこれまで経験を活かし、やりきる。本来であれば、そんなことまで話さなくてもいいということも話す。ある意味、話さなくてもいいかもしれないが、しかし、彼はちゃんと自らの言葉でファンに正直に伝える。改めて、彼の誠実さを感じないわけにはいかない。


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このライブでは、自らの軌跡を振り返る話もいくつか、披露された。近未来バイオレンス映画の金字塔といわれる『狂い咲きサンダーロード』のサウンドトラックへの参加が契機だったという。1980年4月に憧れていた森山達也と北里晃一に同映画のサントラのレコーディングに誘われる。それがきっかけで、THE MODSのメンバーになる。ある意味、彼の転機だろう。『狂い咲きサンダーロード』は本2025年に公開45周年なることをを記念して復活上映され、全国各地で話題を呼んでいる。期間限定の延長を繰り返しているという。この日は、同サントラのレコーディングを経て、THE MODSとの架け橋となったナンバーも披露された。


いろんな思いや気持ちが交錯するライブではなかっただろうか。彼らはどんな困難にも果敢に立ち向かい、約束の地へと帰って来る。改めて彼らの“不退転”という言葉は伊達ではないことを再確認する。きっと、会場にいる誰もがそう感じたはず。同時に彼らの声援や歓声、拍手が彼を支える。


2回目の手術を終えた苣木のメッセージが1週間ほど前、インスタに伝言という形で掲載された。術後も目の痛みなどは続き、うつ伏せで寝続けなければいけない。1回目は多少、横になるぐらいはできたが、それも出来ないという。インスタにファンから寄せられたお見舞いのコメントが力になったこと、感謝していることを伝えて欲しいとメッセージしている。彼らしい伝言ではないだろうか。


苣木は1週間の入院後、既に退院したという。9月27日(土)に新横浜「strage」での振替公演が開催される。彼はエピフォン・テキサンとの旅の途中にある。最終公演を見届け、たくさんの歓声と声援を力の限り、叫んで欲しい。11月からは待望の『THE MODS TOUR 2025 “BACKBEAT AGAIN”』が始まる。彼らは最高にいかしたロックチューン「HURRICANE HURRICANE」とともに戻って来る。



THE MODS TOUR 2025“BACKBEAT AGAIN”


Digital Single『HURRICANE HURRICANE』2025/9/10 OUT!!


THE MODS「HURRICANE HURRICANE」[Short Ver.]

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