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  • FUKUOKA BEAT REVOLUTION

森山達也、回復祈念! 41年前の肉声を再録!!

更新日:2023年3月1日

残念ながら“回復記念”ではなく、“回復祈念”。本来であれば昨20222年11月25日(金)の名古屋 「BOTTOM LINE」を皮切りに大阪「味園ユニバース」、福岡 「スカラエスパシオ」、12月16日(金) の東京「LIQUIDROOM」まで、全国4カ所、全8公演(各所とも2DAYS)になる「THE MODS Premium Acoustic Tour 2022 “DRIVE WAY JIVE”」が予定され、既にツアーを終えていたはずだった。しかし、ツアー直前の10月、森山達也の耳に不調が見られ、突発性難聴と診断された。医療機関にて治療を行ったものの、ツアー開始時点でライブを行うことは困難と判断され、公演が中止になってしまったのだ。


まだ、森山の耳は回復せず、治療に務めているという。具体的な予定が出せないでいる。いまは彼の回復、復帰を待つしかない。何度も困難に立ち向かい、その度に蘇ってきた。“約束の地”へ舞い戻ってきている。


私達にできることなどないが、不退転のロッカーたる森山がTHE MODS伝説の始まりの時代を記録することで、祈念とさせていただく。掲載誌は『MUSIC STEADY』の1982年夏号(当初は季刊だった)。41年前のインタビューになる。


81年6月にデビューアルバム『Fight or Flight』 、同年10月にセカンドアルバム『NEWS BEAT』をリリースし、82年6月の“伝説の雨の野音”直後、同年9月にリリースされるサード・アルバム『LOOK OUT』を一風堂の土屋昌巳をプロデューサーに迎え、レコーディングする直前に話を聞いている。これからTHE MODS伝説が始まる、そんな時期でもある。41年前もいまも変わらない森山達也の肉声をそのまま掲載する形でまとめている。写真はクラッシュの『London Calling』や『Sandinista!』などでお馴染みのペニー・スミス。THE MODSの事務所にもその写真はないという。掲載記事の複写だが、いまとなってはそれだけでも貴重なものだろう。今回、事務所に過去記事の再録の許可をいただいた。上京して1年足らず、ネイティブな博多弁独特の言い回しのため、わかりづらいところや博多弁の再現度もあやしいところもあるが、明らかな誤字や脱字以外はなるべく修正せず、そのまま掲載している。ご了解いただきたい。森山達也の回復と復帰を改めて祈る。きっと、彼は約束を守ってくれる。いま暫く、待とうではないか。





PHOTO TALKING

「TWO PUNKS」は、今は完璧に一人立ちして、最後にはあんたのもんちゅう感じやね


[THE MODS]

森山達也


一つの歌が歌い手の元を離れ、聴衆の中へ入り込み、いつしか聴衆のものになってしまうことがある。下から上へ歌ったものでもなく、ましてや上から下へ歌ったものでもない、まさに歌い手と聴衆が同次元に立ち、目に見えない垣根をとりはらい、一つの歌を媒介として一つの世界を構築してしまうのだ。そんな歌に出会えることは一生のうちで、そう何度もあることではないだろう。しかし、その数少ないうちの一つが、現在キッズ達の愛唱歌になっているモッズの「TWO PUNKS」だ。

モッズは現在、土屋昌巳をプロデューサーに迎えてニュー・アルバムをレコーディング中だ。そして森山達也は、一部の無理解と戦い、危うい綱渡りをしながらも、さらに大きくなって、僕達に近づいてくる。

取材 ・構成/市川清師

写真/ペニー・スミス


「TWO PUNKS」はね、ほら、博多から 東京に出る瞬間の自分達、俺と北里みたいなね、個人的にはそれを書いてね。あの時、博多と東京を行ったり来たりみたいなのが色々あったしさ。そういうとこで、こう、博多やけど、国籍がないみたいなね。

今までのロックっちゅうたら、すぐ、みんなで合唱できるもんが多かったやない。で、 ロックンロールで合唱できるっちゅうたら、「ジョニー・B・グッド」みたいなもんと思うわけ。それで俺、他のバンドのコンサートはあんまり見に行ったことないけん、こう、よく分らんけどね。大体一般的にロックンロールちゅうか、ロックのパターンで言えば、英語のサビの部分でね、“ゴー・ゴー! ゴー・ジョニー・ゴー・ゴー!”みたいな、もうそのスタイルってのはオーソドックスで、一番いいことだと思うわけで、俺達がああいう、俗にパンクっぽいバンドと見られがちなのに、あの曲は大好きな曲やしね。


プレーする側の「TWO PUNKS」っての は、若干レゲエっぽい、スローっぽい。まあ、日本語で歌えば歌謡曲っぽい曲になったと思うしね。日常生活じゃないけどさ、くだらん言葉が多いわけ、本当。金がなかったとかね、腹に押し込むとか、もうぐったり横になろうとかね。“実際”って言葉があるよね。詞の中で〝実際”ってのはあんまり出てこんって言われたわけ。俺は全然気がついてなかったしね。そしたらファンの子が「あの 詞は好きです」って。どこが好きかって聞いたら、「実際”っていう言葉が好きです」って。おーっていう感じでね。逆に自分が、そう言えばそうやねっちゅう感じでね。で、詞の部分でみんながこう分りやすくて、早い曲で、ベタベタって歌うんじゃなくてね、スローで歌ったっちゅうとこで、結構、みんなの気持ちを代表した。なんか聴き手側もそれ、自分のもんにして、みんなで歌いよるっちゅう感じでね。向こうのバンドっていうのは、本当、自然でね。何の曲でもいっしょに歌うというか、大合唱するわけじゃないけど、こうフツフツ歌いよるしね。それが日本語のロックの一番大事なとこだと思うしね。英語で歌うことが悪いんじゃなくて、わけ分らんで歌うよりは、日本語っていうせっかく大事なもんがあるからね。自分の国の言葉があるから、それでやっていきよる限り、あんなに歌えるのは嬉しいと思う。歌ってくれるのかね。考えたら、てめえの歌を歌ってくれよってね。 今は完璧に一人立ちして、最後には、それぞれ、個人個人の作品っていうか、あんたのもんちゅう感じやね。




たかがしれてる部分で 最高に詞を書けるのが俺達


今から3枚目をレコーディングしよるけど、 たぶん、“Ⅳ”、“V”つくってもね、変えたくないなあっちゅうのがあるんすよね。だから、音楽が変化していくっていうのは、自然であってね、今、モッズの3枚目が出るにしても、まだ、それだけじゃないってのもあるしね。もっといろんな音楽が好きやったし、聴いてきたつもりやけんね。そんなの、今から色々出していきたい。詞の世界っていうかね、歌詞の世界ちゅうのは、俺、大きな体験みたいなのないしさ。そんなに毎日、毎日いろんなことするわけないじゃない。生活しよる奴の詞はたかがしれとるとこもあるからね、結局。で、たかがしれてる部分で一番最高に書けるっちゅうかね、ドコドコ突いて詞を書くのが俺達のロックだと思う。じゃけん、それは、LPを5枚出しても、6枚出しても変わらんと思うよね。じゃけん、似たフレーズが出たりとか、視点が全部いっしょになるっちゅう恐れはあるけどね。今、26歳やけど、一年一年、歳とっていくよね。そのうちに大きな周期で、また生活観も変わってくるやろうし、見方も変わってきた時か、また、おもしろくなると思うね。じゃけん、正直言ったら「Shonben」とか「うるさい」とか、あれは1977年位につくった曲やしね。今、歌いたくないっちゅうのあるね。




形や言葉は別として、まず否定した本当のパンク・スピリット


で、俺達が“ラスト・パンク・ヒーロー”じゃないってのは、そこにあるわけ。で、やっぱり『Fight or Flight』が出た時の「うるさい」のシングルがいいって奴もいたけど、 そんなこと言う奴ってのは確かに博多からずっと好きなファンちゅうかね、そういう子もおったし。音が荒けずりで、緊迫感があって、安っぽくて。過激じゃないけどさ、攻撃的なとこが好きみたいなとこで、やっぱりパンク ヒーローじゃないけどさ、そんなの期待しとる奴おるじゃない。

70年代の終りにパンクが流行って、すぐ、 テクノに変わっていったりして、パンクとニュ ー・ウェイヴか、何か、わからんようになったりして。俺達、実際にやりよるっちゅうのは、 スタイルが変わったにしてもね、髪型が若干変わっただとか、服装が変わったとか、別として、やってきたこと自体はそんなに大きく変わってないと思うしね。ところが、パンク流行っとるとこに俺達がそれやったらさ、あっ、ピストルズの真似、クラッシュの真似だって言われてきたわけ。それに疲れる時あるね。ちょっと離れたとこ行ったらねえ、もう本当にパンク・ファッションにかためてね。俺、それ全然否定してないし、それはそれですごいいいことやし、気持ち分るしね。ただ、70年代をそのまま引きずってね、俺はそれといっしょに見られるのがいやっちゅうことで、こういうこと言ったことあるわけ。あのね、「モッズ」っていうのはそもそも、「テッズ」っていう古い伝統的な「テディー・ボーイ」っちゅうのが昔あったよね。「モッズ」っちゅうのは人目をひくために、女より美しくしたり、既成のファッションをくずして極端やった。ようする にイギリスの伝統の国で、紳士の国なのに、そういうファッション革命起こしたっていうか。それは「モッズ」にパワーがあったと思う。 そん時は、「パンク」っていう言葉がなかったにしてもね。それは64年から66年くらいに栄えたけど、ほんで、なんもなくなったと思うわけ。ほんでハード・ロックが結構、栄えたっちゅうかね。そういう時にピストルズがファッションと音楽を結びつけたっちゅう。パンク・ロックってのはまず否定したというかね。だから、俺はあの時期、同じ意味でモッズって、そういうこと言ったことあるわけ。その形とか、言葉は別としてね。それが俺、本当のパンク・スピリットちゅうこと。気持的な部分で大好きちゅうことで、俺がツンツン・ヘアーに安全ピンつけて、まあ一時やったけど、今は別にそれをやりたいと思わんしね。




パンクっちゅうのは、ちんぴらとかいう意味かもしれんけど、だからこそ素適な音楽なんだ


何でも良いと思うわけ。様式化されたものでも良いけど、自分達で開拓していったファッションにしても、音楽にしても、だけん、どっかのアイデアは絶対借りていかな、生きていけん、世の中やと思うしね。それを利用しながらもやっていかんと。そういう意味でパンク・ロックって大賛成って言うわけ。それがなんか、もう完璧にファッションと、歌詞がラジカルで、少し政治的なことでも歌えば、やれパンクだとか、それは暗いよ。その辺をぬぐいたいっちゅうかね。ステージでペッペッ、つば吐きかけられて、気持良いもんやないもんね。イギリスで、そういうことが流行ったかどうか知らんけど、俺、関係ないしね。で、ケンカも絶えんかったしね。それを目前にして歌ったり、演奏中断して止めたりするのも、好んだもんじゃないですね。だけん、俺達は本当良い音楽しようと思うしね。パンク・ロックって、悪い音楽って、皆、すぐ錯覚してしまうやない。パンクっちゅうのはちんぴらとか、そういう意味かもしれんけど、だからこそ素敵な音楽なんだっちゅう部分でやるように、ただイスを壊したら良いとか、クサリまいてどうのこうのっていうのは本当のちんぴらよね。そんなものは俺、あんまり用はないしね。その辺が最近は辛くなってきたね。



世間の不満を歌いたくてギター持ったわけじゃない。やりよるうちに歌にしたというだけのこと


それ、どこのバンドでもあろうけどね。だけん、それを一回ぬぐいさりたいっちゅう時期というかね。難しいよね、確かに。けして 悪いことじゃないにしても、もう少し考えていかんみたいな部分を歌っていきたいしね。何も世間の不満を歌いたくてギター持ったわけじゃない。やりよるうちにそういうのを感じて、俺は歌にしたというだけのことでさ。一番好きなのは3コード・ミュージックだったしね。皆にも、音楽の楽しいことだとか、心臓の破裂しそうなビートの熱さっちゅうのを教えたいっちゅうのあるよね。基本的に音楽ってのは、苦しいもんかみたいな感じに捉えられたらやばいよ。そないとる奴が多いんやない。俺らのステージ自体が結構苦しそうやしね。そんな楽しそうやないけどね。そう見えるけど、そうじゃないと思うしね。音楽っていうもんは、本当は楽しいもんなんだ。いやなことがある、楽しくなるために音楽を必要としてるんだみたいなことを分かって欲しいな。なんかファッションで握り拳あげて、やれ、ぶち壊わせって、それやったら俺、ステ ージに上がって演説するよ。学校の先生みたいに。でも、それは嘘やしね。ただのダンス ・バンドじゃないっていうだけのことで、踊るなとは全然、言わんしね。それやったら皆、よく聞けになるしね。


まあ、今年はそれが分かってくる年と思うね。俺達見てて、いやになるかも分からんし、 もっともっと好きになる奴も出てくるか分からんし。俺達は、もう、そんなことは関係なしに、自分達のスタイルをもっともっと大きくしていくっていうことやね。



3枚目で評価されても困る部分ある 本編は本当、まだ来てないっちゅう部分もあるしね


俺達も本当のこと言ってプレッシャーあるしね。これから9月か10月頃になったとする じゃない。もう(レコード)出したくないようになる可能性もあるわけ。いや、また違う。 もっとこういうものをやりたい、みたいなさ。 本当、期待っちゅうか、プレッシャーみたいのを感じるね。1、2枚目っちゅうのは、絶対いいぜみたいな、押し売りっぽいことできるやない。うーんと考える暇を与えずにやってきたっていうかね。今回は向こうがさ、聴いてやろうかみたいなことがあるしね。だけん、今度のアルバムは、そういう意味で期待したら恐いね。評価っていうものは、今回 まったく気にせんでやっていくしかないね。20枚出せればいいなあ、みたいなね、長い周期でわかってもらえるというかね。本当のこといって3枚目で評価されても困る部分もあるしね。これは前置きなんだみたいなこと。 『Fight or Flight』て言ってさ、で、本編はちゅうのは、本当、まだきてないっちゅう部分もあるしね。



同じビート、同じ3コードなのに 絶対違うように生き返らせる、モッズはそれができるバンドだ


今回、俺達としては、いろんな部分にチャ レンジしたいという部分あったしね。 土屋氏は凝るタイプやけん、俺は恐かったわけ。一回話したら、モッズはあのユニットでやるしかないみたいなさ、あのユニットが最高なんだみたいなね、そう言われた時に、あー、この人やったら、多分やれるねって。


俺達はラッパどんどん入れたり、キーホード、オン・フューチャーでさ、アコースティックもがんがん入れて、変化というのを頼ろうとしてた部分が初めあったわけ。でも、そん時思ったね。俺達ってバンドやしね、それやるのは簡単なことでさ、そうじゃないで、このギター2本、ベース一本、タイコー本でさ、同じビートで同じ3コードなのに、絶対違うように生き返らせるというかさ、(それが)土屋氏の喜びと思うしね。モッズは、それができるバンドたみたいなことでさ、3枚目やからがんばらねばいかんちゅうプレッシ ャーをパッと払いのけたっていうかね。もう、これを押し通すしかないねって。


めんたいビートっちゅうレッテルが剥がれてきたやない。やっとレッテルから剥がせた部分が、今あるしね。だけん、これからが、ただのロック・バンドで本当にまともに見てくれる奴が増えてくると思うし、そいつ達と今度出会った時がおもしろいと思うね。「Do the monkey」じゃないけどさ、何かが始まってくると……。


季刊ミュージック・ステディ 1982年夏号(昭和57年7月20日発行 第2巻第2号通巻4号)


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