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  • FUKUOKA BEAT REVOLUTION

41年前の今日、1979年12月5日にシーナ&ロケッツの「ユ―・メイ・ドリーム」がリリースされた!

更新日:2020年12月7日


「ユー・メイ・ドリーム」は、シーナ&ロケッツの2枚目のシングル。41年前の今日、1979年12月5日にアルファレコードからリリースされた。1979年10月25日に発売されたアルバム『真空パック』に収録されている。同曲は日本航空の「マイ・ハート・キャンペーン」のCMソングに使用され、アルバムとともに大ヒットを記録する。

シーナ&ロケッツはその前年、1978年10月25日にシングル「涙のハイウェイ」でエルボンレコードからデビュー。デビュー1か月後の1978年11月にはエルビス・コステロと全国ツアーをしている。1979年3月25日にアルバム『Sheena & the Rokkets #1』を同じくエルボンレコードからリリース。彼らの名前が全国に知れ渡る契機はエルボンからアルファへ移籍し、細野晴臣のプロデュースで先の『真空パック』をリリースし、「ユー・メイ・ドリーム」をヒットさせてからだろう。鮎川はYMOが1979年9月にリリースしたセカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』にギターで参加。 YMOワールド・ツアーの「凱旋公演」(1979年12月19日に中野サンプラザで開催)では、シーナ&ロケッツがオープニング・アクトを務めている。

当時は“めんたいロックとテクノポップの合体”とまで言われたが、いまとなってはそれも遥か、昔のこと、誰もが「ユー・メイ・ドリーム」のキュートな魅力に抗えない。永遠のロックンロール・アンセムである。同曲は2018年4月2日から9月29日まで放送されたNHKの“朝ドラ” (NHK朝の連続テレビ小説)『半分、青い。』に劇中曲として使用され、大きな話題になったことも記憶に新しい。また、同2018年にはNHK福岡局がシーナ&ロケッツがデビューする直前、鮎川誠とシーナの青春時代を描いた地域ドラマを制作。同ドラマは『You May Dream(ユー・メイ・ドリーム)』とタイトルされている。2018年3月に九州沖縄ブロックで先行放送後、5月にNHK BSプレミアム、9月にNHK総合で全国放送された。鮎川役に福山翔大、シーナ役に石橋静河、シーナの父親役に松重豊が出演した。

ザ・ロッカーズやザ・ルースターズ、ザ・モッズなどのデビューに先駆け、シーナ&ロケッツは東京へ進出し、いち早く全国区となっている。「ユー・メイ・ドリーム」リリースから8か月後の1980年8月23日にはRCサクセションやプラスチックスなどとともに武道館公演『POP'N ROLL 300%』を成功させ、“NEW YEAR ROCK FESTIVAL”や“Japan Rock Festival”など、内田裕也主催のイベントなどにも積極的に出演、その雄姿を全国のロック・ファンの目に焼き付け、日本のロック・シーンに独自の地位を築く。シーナ&ロケッツの活躍がなければ、福岡のロック・シーンへの注目もなかっただろうし、彼らに続くバンドの奮起もなかったのではないだろうか。

昨2019年1月26日(土)と27日(日)に東京・下北沢「GARDEN」で開催されたザ・ロッカーズの穴井仁吉の還暦を祝うバースデーライブ『MAXIMUM DOWN PICKER 12×5 Years Old Birthday』のパンフレットで、穴井は鮎川誠や柴山俊之などと対談をしている。その中で、穴井は「サンハウスの印象は完全に外タレとか、もしくは東京のプロのミュージシャンという感じです。勿論、福岡で鮎川さんや柴山さんをたまに見かけたりしましたけど、全然、声もかけられない、もう雲の上の存在でした」と語っている。



シーナ&ロケッツのデビュー直前、鮎川誠(G)、柴山俊之(Vo)、川嶋一秀(Dr)、浅田猛(B)、坂東嘉秀(G)という俗に“ニューサンハウス”と言われるラインナップでの演奏を穴井は福岡のディスコで見たという。観客はあまりいないものの、その時の演奏は凄まじく、その迫力に改めて驚いたそうだ。


「川嶋さんは初見でしたが、ドリルとニュードリルで坂東さんと浅田さんは見たことがあって……ロキシーミュージックやストゥージズやラモーンズ・スタイルの曲もあったり、さらに鮎川さん、浅田さん、坂東さんのダウンピッキンが圧倒的にカッコ良かった。パンクやニューウェーブ感がバリバリでタイトでラウドで無茶苦茶スピード感があった。その後、サンハウス が解散したらしいって僕達の周りで噂になった直後にシーナ&ロケッツのことを知って」(穴井)


福岡のジュークレコードで、シーナ&ロケッツのシングル「涙のハイウェイ」(サイン入りのシングルがカウンターに置いてあったらしい)を見つけ、すぐに手にしたという。


穴井は「パンクなビート・ミュージックで、とてもポップだった。サンハウスの音楽は奥が深くて、自分達が目指すには難し過ぎた。でもシーナ・ロケッツを聞いた時、すごく身近に感じた。こうやって、プロになっていく、それを目の当たりにしたようです。勿論、『真空パック』も出て、すぐにジュークレコードで買いました。YMOの細野さんのプロデュースですが、世界レベルの音楽でした。最先端のものを感じました。シナ・ロケの曲がLAのラジオチャートに入ったり、エルビス・コステロやラモーンズと共演し、絶賛される。東京を超えて、ロンドンやニューヨーク、ロサンゼルスとか、世界と繋がっていることを感じました。勿論、「ユー・メイ・ドリーム」がヒットし、テレビやラジオで頻繁にかかっていました。また、1979年の大晦日には『ニューイヤー・ロック・フェス』に一風堂やハウンドドックなどとともに出演したのも刺激を受けました。既にザ・ロッカーズも1980年には上京し、デビューすることが決まっていたので、何か、希望と期待でわくわくしていました」と語る。



自らがザ・ロッカーズとして上京し、全国のロック・ファンへバンドとしての真価を問う――その時、シーナ&ロケッツの活躍が彼らを勇気付けたと言っていいだろう。シーナ&ロケッツは、彼らのリアルなロックンロール・ドリームを後押ししていたのだ。


そして、彼らはいまもそんな存在である。この新型コロナウイルス禍で“ライブ”がなくなる中、シーナ&ロケッツはロックンロールをすることをやめない。勿論、感染症対策をしっかり講じた上で、いまできることをしようとしている。彼らは、今年の大晦日に開催される新装になった『New Year Rock Festival 2020-2021』へ出演する。シーナ&ロケッツは出演バンドの中では出演回数は最多、1978年から43年連続になる。彼らはその行動で、ロックが進むべき道を見せてくれる。


 

新生『New Year Rock Festival 2020-2021』

2020年12月31日大晦日 無観客生配信フェス

神田明神ホール

新型コロナウイルス感染拡⼤防⽌の観点から、無観客⽣配信LIVEでの開催となりました。

クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」にて応援サポートを受け付けております。

実施期間︓〜12⽉20⽇

配信チケット発売中

公式New Year Rock Festival HP


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