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  • 執筆者の写真Nobuya Horiuchi

40年前の今日、1980年11月1日にザ・ルースターズはシングル「Rosie」でデビューした。


デビュー直後の貴重なザ・ルースターズの発言を再掲載する。彼らのインタビューは「月刊ロック・ステディ」の1981年1月号(YMO表紙・B4特大版。なお、表紙には1980とあるが、1981年の誤植である。恥ずかしい!)の新人紹介のページ「THE NEXT COMES UP」の”拡大版”に掲載されたもの。同特集はYMOやプラスチックス、シーナ&ロケッツ、RCサクセションなどのブレイク後、彼らに続く新たな潮流を牽引するバンドを数多、紹介している。東京ロッカーズ周辺から派生したハルメンズ、プライス、ゼルダ、オートモッド、スタジオ・ミュージシャンやバンドからの転向組(!?)のイミテイション、スパイ、ビジネス、ピンナップス、2つの流れとは違うところから出て来たフィルムス、スキン、INU、ノー・コメンツ、ZIG-ZAG……などを紹介している。気の早い(!?)ことに”アフター・ニューウェイブ”や”サード・ウェイブ”なんていう形容詞を使っている。いずれにしろ、そんな極彩色で華やかなバンド達が飛び出す中、鈍色の光彩を放つザ・ルースターズは異色だった。


ザ・ルースターズは”ステディ・ロック・ファンクション”出演後、1980年5月にあるレコード会社とデモテープを録るが、それは彼らが思うロックの音とはならず、その会社とは破断になる。その後、6月に上京、メンバーとスタッフとの共同生活を開始。自らの事務所、パームスミュージックを設立する。そして翌7月にサンハウスのレコード制作に関わっていた音楽プロデューサーと出会い、ゴダイゴのレーベル、アワージョイと原盤契約し、8月に日本コロムビアと契約、同年11月にプロとしてデビューすることになった。彼らに限らず、デビュー前の”一波乱”は、福岡のBEATの革命が日本のレコード会社に理解されるには、ほんの少しだけ早過ぎたことの証明ではないだろうか。


インタビューそのものはページ数の関係で短いもので、回答者のクレジットも”R”となっているが、大江慎也が答えている。いい意味で肩の力が抜け、どこか、とぼけて、はぐらかす感じがいかにもザ・ルースターズらしい。大江慎也には再掲載した記事を読んでもらい、改めて40年前を振り返ってもらった。40年前にリリースされたデビュー・シングル「ロージー」をどう捉え、どう思っているか。いまだからこそ、語れる、飾りのない言葉を寄せている。


なお、本特集の執筆をした小島芹子、実はゼルダの小嶋さちほである。彼女はロック・ステディの幻のアルバイター(アルバイト+ライター)、そして秘密兵器でもあった。40年目にして初めて明かす真実(笑)。『CHANGE2000』や『ミュージック・マガジン』などとは違う彼女の筆致も楽しんでもらいたい。



 

――九州のバンドには、皆、ビート・グループ的志向があるようだけど、その辺、どうですか?

R あの時代のものは、良いものだし、九州の人間は良いものよう知っとるし。

――バンドが集まったキッカケは?

R いろんなバンドをやっていた奴が集まって今のメンバーになった。ルースターズの前は人間クラブという名前でやってたし。

――こっち(東京)に来てからライブをやってみてどうですか? お客さんの反応なんか。

R もっと騒いだらええのに。どこもまだおとなしく見とる。これからもっと変わるだろうけど。

――他の日本のバンドとか、意識しますか?

R  今まで、いなかったけど、意識せにゃいけんごとなっとるバンドも出てきてる。特に同じ九州出身のバンドなんか。

――九州にいたとき、交流はなかったんですか?

R いっしょにやりよったんです。

――今の目的は?

R 今時点での目的は給料上げること(笑)。音楽的なことやったら、60年代のバンドみたいに本物のカッコよさを追求してやりまくる。俺達がやりよるみたいなタイプの音楽を広める、というか。



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「ロージー」は当時の想いや音楽に対する考え方を反映したシングルです――大江慎也



そうですよね。11月1日でしたか、THE ROOSTERSの、オリジナル曲の「ロージー」の、シングル・ヴァージョンのリリース、発表でしたね。

曲を作った当初はレゲエ・バージョンで、そののち何年か後、再レコーディングして、発表もされました。


この曲は、大江慎也の当時の想いや、音楽に対する考え方等を反映していて、とても素晴らしい“ザ・ルースターズ“というBandとして、世に送ったルースターズのデビュー・シングルでした。

本当は、ブルース曲のカバーの何かを出したかったといういきさつもありますが。

只此処に言っておきたいのは、決してRock’N’Rollを否定するものでは、なかったという思いです。

それまでの自分が聴いてきた音楽環境を含めて、歌詞、曲を作ったつもりです。


この頃思うのは、自分が演ってきた、或いは演っていることが、俺にとってサイコパスの状態ではなかったのかと、思います。

エンターテインメントとしての逃げ切れない場所もあるのかとも思います。


この曲「ロージー」は、実家に帰った際、うちの母親が、近所のスーパーマーケットで流れてきて、「いいね」と言ってくれた思い出も強くあります。

兎にも角にも、多々のアーティストの方々が、この曲をプレイして歌って下さっているのは、嬉しいと思っています。

ただ、母親は、「何であんたの曲を、人がしよるんね?」と言われた微笑ましい思い出もあります(笑)。


俺は、ただ、自分の思うやりたい曲を演れたらいいなと思ってずっと此処にいます(笑)。

聴いて下さるファンの皆様に、感謝致します。

対象が無ければ、アーティストの作品なんて何でもありませんからね💛&✌。

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