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1980年4月1日のザ・ルースターズ――「ステディ・ロック・ファンクション」に出演!

ここに1本のテープがある。古いカセットテープを恐る恐るカセットデッキに入れ、再生ボタンを押したら、激しいビートと粗削りな歌が勢いよく飛び出してきた。


ザ・ルースターズのバイオグラフィーには“雑誌 『ROCK STEADY』主催のテープ・コンテスト「ステディ・ロック・ファンクション全国大会」に出場、ロック・ステディ賞を受賞”という記述が時々、出てくる。おそらく「ROCK STEADY」という名前は出ているものの、既に廃刊、いまとなっては古書店やオークションでの入手も困難である。まさに幻の雑誌だろう。同誌は海外アーティストだけでなく、日本のアーティストも扱っていた。それもフォークなどではなく、日本のロックである。時節柄、パンク、ニューウェイブなども積極的に紹介している。また、楽器メーカーがスポンサーになっていた関係で、有名プレイヤーによる楽器講座なども掲載されていた。青山純や土方隆行、鷺巣詩郎など、フュージョン、スタジオ・ミュージシャンの大物から、P-MODELの秋山勝彦、ヒカシューの井上誠など、テクノポップ界の人気ものまで、多彩な面々が講師を務めていたのだ。

同誌が主催した「ステディ・ロック・ファンクション」は1980年に第1回が開催されている。プロを目指すバンドを発掘するテープオーディション。全国から寄せられた300本近い(本当はそんなにはなかったと思うが、200本は間違いなく超えていただろう)テープの中から厳正な審査を経て、選ばれたバンドを会場に集め、ライブ審査を行っている。その場にはレコード会社やプロダクション、音楽出版社などの音楽関係者を招き、実際にバンドの演奏を見てもらい、プロデビューさせたいというバンドがいたらプラカードではなく、手を挙げるというロック版「スター誕生!」(映画版『スター誕生』ではなく、“花の中三トリオ”を生んだ日本テレビのオーディション番組の方)である。


そのライブ審査は1980年4月1日(火)、東京「ラフォーレ原宿」で開催されている。テープ審査で選ばれた11バンドにゲストとしてサンハウスの浦田賢一率いるショットガンが出演。ザ・ルースターズはザ・モッズ、フィルムス、SKIN、ホット・ランディングなどとともにそのオーディションに挑んでいる。

「ステディ・ロック・ファンクション」にスタッフとして関わり、実際、現場に最初から最後までいたので、当日のことは良く覚えている。器材の搬入や会場設営のため、ラフォーレ原宿が営業を始める前、朝早くから会場にいた。おそらく午前6時くらいだろうか、ラフォーレ原宿の前にバンが横付けされ、バックドア―からむくつけき男たちがぞろぞろと眠たそうな目をこすりながら出てきた。それが大江慎也(Vo、G)、花田裕之(G)、井上富雄(B)、池畑潤二(Dr)というザ・ルースターズの4人だった。聞けば、北九州から自ら車を運転して来たそうだ。途中、大阪に寄って、ライブを行い、そのまま東京まで来たという。大江は40年前のことなので、具体的な場所や店名はまったく覚えてないが、井上によると、カーナービーツのアイ高野が店長(雇われ店長だった)をしていた大阪のライブパプ「ルイ」らしい。彼自身もうろ覚えだが、飛び入りで演奏できるのが、同所だけらしく、楽器も同店の箱バンのものを使用。彼らにその演奏を誉められたという。40年前、それもドラマの前夜のことだから記憶が曖昧なのは仕方ないだろう。私の当日の最初の仕事は彼らを“仮眠所”になる駐車場まで案内することだった。ザ・ルースターズの前身、人間クラブには1年前に会っていたかもしれないが、ザ・ルースターズとは初対面だったのではないだろうか。

彼らは100名以上の音楽関係者、各バンドのファンやスタッフ(既に上京していたザ・ロッカーズのメンバーも会場に来ていた)、そして「MUSIC STEADY」読者など、総勢300名(うろ覚え!)が見つめる中、11バンド中、8番目に登場。特に挨拶もなくいきなり「新型セドリック」を演奏し始め、あとは「Walkin' The Dog」、「ヘイ・ガール」、「気をつけろ」、「One More Try」、「キャロル」と、一気呵成に畳みかける。彼らは全6曲を演奏し終えると、疾風怒濤の如く、ステージから消える。わずか15分ほど、20分にも満たない演奏だったが、明らかに会場の空気が変わったのを覚えている。

全てのバンドが演奏をし終え、ゲストのショットガンの演奏の後、オーディションの結果が発表された。この日、レコード会社やプロダクション、音楽出版社などから一番多くの指名を受けたのがザ・ルースターズだった。彼らには「ロック・ステディ賞」として、協賛メーカーであるクラリオンから提供されたクラリオンのダビングデッキが贈答されている。ちなみに先のテープはライブの調整卓からラインで録音されたもの、彼らだけでなくすべてのバンドの演奏が収録されている。いずれにしろ、いままで一度も発表されたことのない、幻のテープ。まさに秘蔵品と言っていい。

おそらく「ステディ・ロック・ファンクション」があってもなくても彼らはやがてデビューしていただろう。早いか、遅いかだけかもしれない。ただ、ザ・ルースターズの東京での初のステージは1980年4月1日、ラフォーレ原宿だったことは確か。東京の人達に彼らを紹介する――そんな契機を作れただけでも満足である。それにしてもこのテープに刻まれたザ・ルースターズの演奏は初々しくもふてぶてしい。なんて、魅力的な音塊だろう。

大江慎也にそのテープを送り、改めて聞いてもらい、「ステディ・ロック・ファンクション」について、振り返ってもらった。


ここから、希望していたプロデビューの話が始まりました――大江慎也

当時、九州からバンに乗って、東京のラフォーレ原宿に行きました。

朝早く到着したので、駐車場の車の中で、皆眠っていました。

若かった為もあり、そんなに疲れもなくて、ステージが出来たようです。

短時間で、そう広い所ではありませんでしたが、聴衆も多く、僕らも楽しんでいたと思います。僕は、軽く化粧をしてステージに立った覚えがあります。

九州のスタジオで、何度もリハーサルを続けていたことが、懐かしく思い起こされます。ここのコンテストで優勝させていただき、6社のプロダクションからお誘いがありました。賞品として(笑)、ダブルカセットデッキを頂きました。

コンテストに出演していたバンドで、僕たちの演っている種類のタイプの音楽をしていたバンドは、ありませんでした。

ルースターズは、殆ど、黒人音楽のロックンロールのカバーや、R&Bのカバー、オリジナル曲を演奏していました。

元々日本は加工貿易の国でしたので、外国から取り入れたものを自分たちなりに消化して演奏したいという思いが、僕の頭の中にあったと思います。

僕の記憶が正しければ、ゲスト出演されたのは、「ショットガン」だったと思います。

ここから、希望していたプロデビューの話が始まりました。

当時お世話になった皆様、有難うございます。



実は本日、9月30日は大江慎也の誕生日。62歳になる。福岡の「public bar Bassic.」で、バースデイ・ライブ『大江慎也 Birthday Shinya Oe And Mothers Sunshine「music?or music」』が行われる。限定15名&配信ライブ(会場観覧プレミアムチケットは、完売。配信チケットはまだ販売中!!)という形式だ。

ラフォーレ原宿でのステージから40年、大江慎也はプロとして、ステージに立ち続けている。伝説や神話の主人公になるには、まだ、早い。福岡のBEATの革命はいつだって、現在進行形である。


Special Thanks To Toshio Nakamura


大江慎也 Birthday Shinya Oe And Mothers Sunshine「music?or music」

2020/9/30(水) OPEN 19:30 / START20:00~ 福岡 public bar Bassic.

Shinya Oe And Mothers Sunshine

 大江慎也(V&G)

 高木  克(G)

 渡辺圭一(B)

 梶浦雅弘(D)

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【配信チケット購入の方はこちら↓】

https://passmarket.yahoo.co.jp/.../detail/016ab3115cauc.html

【配信期間】

2020/9/30(水) 20:00~2020/10/3(土) 00:00

チケット御購入は10/3の0:00までお買い求め頂けます。

48時間以内は何度でもご視聴可能です。お見逃しなく!

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