DAY1 2023年4月22日(土) 山部YAMAZEN善次郎&The幌馬車、全員集合――高円寺“結団”の夜!
YAMAZENこと、山部善次郎。1954年9月25日生まれ。福岡県福岡市博多区出身である。福岡・博多を中心に活動を続ける彼はいうまでもなく、福岡のロックシーンの生ける伝説だ。2015年には下本地崇が監督し、彼の自伝的映画『6600ボルト』が公開されている。同映画のタイトルは1969年、14歳の時に熱いので電柱に上り、高圧電線の6600ボルトに感電して、左目と鼻を失ったことから取られている。「福岡大学学園祭石投げ事件」や「英国入国拒否、強制送還」、「ジャンピング・ジャムで体中にシェイビング・クリームを塗り付け、客に水をかける」、「愛車ボルボ・アマゾンで天神メインストリートを逆走」など、その奇行や事件は数限りないが、まずは山部善次郎と言う優れたシンガーソングライターがいることを心に刻んで欲しい。
山部がロックに目覚めたのは福岡市立警固中学3年の時、卒業キャンプで好きな女の子にローリングストーンズの「Tell Me」を歌うため、練習を始めたのが契機だと言う。実際、その子に歌ってきかせたかわからないが、女の子にもてたいという、いかにもな理由である。
高校生の時に鮎川誠、篠山哲雄、浦田賢一というSONHOUSEの3人に出会い、彼らの家へ入り浸り、ロックを叩き込まれる。1971年、高校生の頃にチューリップや甲斐バンド、海援隊、井上陽水、長渕剛、森山達也、陣内孝則、石橋凌などが出演した博多の伝説的なライブハウス「照和」(同所は伝説の舞台ではあるが、いまも現存している)のオーディションを受け、バンド「田舎者」としてステージに立った。その後、山部は九州産業大学経済学部に進学。「田舎者」「SMILE」「博多テディボーイズ」を経て、日本初のパンクバンドと言われる「THE DRILL」を結成するも一年で解散。その間に様々な奇行を繰り返し、それがエスカレートしていく。躁鬱などがその要因だったという。
一旗揚げるべく、単身英国へ行くものの、怪しい風体と反抗的な言動で、入国拒否に合い、強制退去になる。帰国後、中洲を中心に弾き語りを始め、「山善&博多パラダイス」などで活動。1978年にメジャーレーベルからデビューの話がまとまる。だが、録音の出来映えに満足できなかったため、デビューを断っている。25歳で自らの音楽的才能に見切りをつけ、家業の紙問屋の修行のため、愛媛県松山市へ移住。博多帰省後、家業の仕事を4年間続ける。しかし、29歳の時、車を運転中にFMラジオから流れた後輩のスマイリー原島が率いるTHE ACCIDENTSの「雨のメインストリート」を聞いたのがきっかけになり、音楽の世界へ戻ることを決意する。福岡スポーツセンターで開催されたイベント『JUNPING JAM』に飛び入り、YAMAZENは復活を遂げる。
1985年に山善&Midnight Specialとして地元・福岡のインディーズレーベル“BORDERLINE”より1stシングル「キャデラック」、続いて同年にYAMAZEN&DYNAMITEとして1stALBUM『DANGER』をリリース。1989年に『NATURALLY』、1990年に『CRAZY TOWN』を相次いでインディーズからリリースした。1991年にはメジャーレーベル(THE ROOSTERS+Zも所属した“日本コロムビア”)から初アルバム『山善フォークジャンボリー』(泉谷しげる「眠れない夜」や遠藤賢司「夜汽車のブルース」、友部正人「一本道」など、フォークの有名曲をカヴァー)をリリースしている。その後もインディーズから『CHAMELEON MAN』(1994年)、『FULL HOUSE』(YAMAZEN & the BLUES FELLOWS featuring TAD MIURA 名義・2008年発売)、『少しだけ優しく』(2014年)、『Alone』(2015年)、『BOSS』(YAMAZEN&THESQUEEZE名義・2017年発売)、『TRUMP』(山善&鬼平BAND名義・2019年発売)、『The Best of YAMAZEN Looking For Love』(2021年)などをコンスタントにリリースしているのだ。
音楽活動の傍ら、39歳から油絵を描き始め、福岡県立美術館で個展を開催し、福岡県展や朝日新聞賞などに入賞。個展なども頻繁に開催している。
福岡のロックを愛するものにはTH eROCKERSの「可愛いアノ娘」や「キャデラック」などは彼のオリジナル、また、THE MODSのライブアルバム『JUKE JOINT』(1987年)のブートレッグ風イラストは山部が手掛け、彼らの福岡・博多録音のアルバム『EASY COME EASY GO』(1988年)にバックコーラスとハープで参加していることでも知られている。THE MODSやTH eROCKERSの先輩にあたり、SONHOUSEの後輩にあたる。福岡のロックを今日に繋げる、福岡のまさに生ける伝説といっていいだろう。
すっかり山部のプロフィールが長くなってしまった。“伝説”だからプロフィールやエピソードが多くなるのは当然のこと。お許しいただきたい。お待たせしました。お待たせし過ぎたかもしれません。漸く“同乗記”が始まる。本2023年4月22日(土)、東京にYAMAZENこと、山部善次郎(Vo、G)、彼を慕うThe幌馬車の乗組員、穴井仁吉(B)、延原達治(Vo、G)、下山淳(G、Vo)、佐々木茜(Dr、Vo)というアカネ&トントンマクートの4人にTH eROCKERS、Chappy'sの澄田健(G、Vo)、山部の旧友で彼のCDなども出している、シッカローラーズの石井啓介(Kb)を加えた7人が揃う。4月23日(日)に埼玉県・所沢「MOJO」、24日(月)に東京都・下北沢「440」で行われるライブのリハーサルのためだ。
その前日、4月21日(金)には山部と澄田を除く、5人で既に音を固めている。準備は万端だ。22日(土)の午前中に山部は福岡発羽田行きの便に乗り、昼過ぎには羽田からリハーサルスタジオのある高円寺に駆け付け、合流している。既に澄田もリハーサルのため、スタジオへ来ている。山部と初対面というメンバーもいたが、リハーサルスタジオでは終始、和やかな山部を囲み、冗談や軽口も飛び出していた。何か、この7人であれば、とんでもないことをやってくれそうだ――そんな期待と予感を抱かしてくれる。2日間のライブは両日とも既にSOLD OUT。福岡の最後のカリスマの面目躍如だろう。新たなYAMAZEN伝説が始まろうとしている。
この日の夜は福岡から駆け付けた山部のため、リハーサル後、高円寺の飲食店で彼の歓迎会と山部YAMAZEN善次郎&The幌馬車の結団式(前夜祭!?)が開催された。飲み放題、食べ放題という祝宴は山部を囲み、和やかに賑やかに進行していく。山部とは付き合いが長く、関わりも深い穴井が進行役となって、会を盛り上げていく。TH eROCKERS時代だけでなく、山善&MIDNIGHT SPECIAL、山善&DYNAMITE、山善&鬼平BNADなど、そのレコーディング、ライブなどもサポートしてきた。そもそも、今回のライブの言い出しっぺも彼だった。そこには穴井の山部への思いが込められ、ある夢の実現でもあった。
2時間を超える祝宴は大いに盛り上がる。食事と酒とソフトドリンクで心と身体を満たし、明日のため、決意を示すかのように“記念撮影”をする。高円寺の駅をバックに祝宴の場所の前の通りにメンバーが全員集合する。狭い路地を7人が占拠する。甚だ、迷惑な行為かもしれないが、道行く若者達は、語らずとも醸し出す熱気に気圧されたか、交通整理の必要もなく、撮影に協力してくれる。東京を山部YAMAZEN善次郎&The幌馬車が制圧する。そんな明日を予感させる。
DAY2 2023年4月23日(日) 驚愕の新人バンド、華々しいデビューを所沢で飾る
4月23日(日)は所沢「MOJO」で“驚愕の新人バンド”YAMAZEN &The幌馬車の初舞台。デビューステージだ。YAMAZENこと、山部善次郎(Vo、G)、穴井仁吉(B)、延原達治(Vo、G)、下山淳(G、Vo)、佐々木茜(Dr、Vo)、澄田健(G、Vo)、石井啓介(Kb)という7人が揃い、“3部構成”、2時間を超える涙と笑いの白熱のステージは改めて山部YAMAZEN善次郎という音楽家の魅力(底力と言ってもいいだろう)を再確認させるものになる。
福岡由来の伝統芸とでもいうべき、ロックやソウルの独自解釈によって、極上の曲を紡ぎ、痺れるような歌を聞かせる。福岡のロックの歴史だけでなく、日本のロックの歴史に残るべき真の実力派である。明太子や山笠、ホークス、博多華丸・大吉などとともに全国に誇るべき福岡名物!TH eROCKERSがカヴァーした「可愛いアノ娘」や「キャデラック」を始め、「グッバイ・ママ」、「ランナー」など、YAMAZENにいまも名曲といわれ、歌い継がれる歌がいかに多いことか。勿論、The 幌馬車のツボを心得、YAMAZENへの愛情と尊敬溢れる演奏がそれを際立たせることも忘れてはならない。時にはMCや演奏での愛あるツッコミも絶妙のスパイスとなる。立ち見も出る盛況ぶり、前述通り、SOLD OUTになった会場は彼らの圧巻のパフォーマンスに酔いしれる。その歌や演奏を聞き、見るものを幸せな笑顔にしていく。このコロナ禍にあって、久しくなかった演者と観客のコール&レスポンスも会場のボルテージを一気に上げて行った。
まるでYAMAZENファミリー劇場状態だが、しかし、“博多の暴れん坊将軍”は健在だった。変に聞き分けの良い好々爺などにはなっていない。予定調和や段取りを嫌う。気まぐれな予定変更(!?)も彼らしい。ハラハラ、ドキドキさせる状況もこの7人なら大丈夫。曲をいきなり歌い終え、モーゼの“十戒”や新田義貞の“鎌倉攻め”のごとく、海が割れ、水が引くように通路ができる客席を分け入っての退場には驚かされた。確かに唖然とさせられたが、それもYAMAZENらしいといえば彼らしい。期待を裏切らないと言っていいだろう。
数々の伝説や逸話の多いYAMAZENだが、それらを日々、更新していく。現在進行形の伝説や逸話のリアルを体感させてくれるのだ。YAMAZENのライブを体験する観客は歴史の目撃者、証言者となること、請け合い。そんな絶好の機会になる。
翌日、4月24日(月)下北沢「440」は残念ながら今回の埼玉・東京ツアーの“最終日”になる。たくさんのまだ見ぬ奇跡や思いもかけない出来事も起こるかもしれない。そんな期待を充分に抱かせる。是非、見逃さず、体験していただき、それを吹聴してもらいたいと思わせる。全国のロックファンにYAMAZENを知らしめるべきだろう。きっと、YAMAZEN &The 幌馬車の“全国ツアー”を各地のファンが待っている、そんなことを見るものに改めて感じさせるツアー初日だったのではないだろうか。
DAY3 2023年4月24日(月)“春の二夜の夢”――下北沢ロックンロールナイト
福岡の生ける伝説、YAMAZENこと、山部善次郎。その彼が勇者たちの乗車するThe 幌馬車というバンドを率いるコンサートツアー。それも所沢「MOJO」と下北沢「440」のみ、2日間だけという贅沢なもの。まるで“春の二夜の夢”と言っていいだろう。4月24日(月)下北沢「440」は前日、4月23日(日)の所沢「MOJO」に続き、SOLD OUT。立ち見も出ている。超満員の観客に見守られ、山部YAMAZEN善次郎&The幌馬車の“ツアー”がこの日、終わる。いや、終わってしまう。きっと誰もがあの熱狂を思い出しながらも一抹の寂しさを感じているはずだ。
YAMAZENという一流のシンガーソングライターをThe幌馬車という一流のミュージシャンが支える。日本のロック界が誇る稀有な才能たちの全員集合。地上最大のショウ“The Greatest Show on Earth”を繰り広げる。それも歌手と楽団というスタイルではなく、最高のロックシンガーと最高のロックバンドががっちりとスクラムを組むというスタイルだ。両者は拮抗し、対峙しつつ、協調し融合していく。歌と演奏のスリル溢れる掛け合いや歌の情感に演奏が寄り添いつつ、異次元の世界へ聞くものを誘う。
いい意味での緊張関係だろうか。なれ合いなどではなく、ともに誠心誠意、歌と演奏に向き合う。最高に輝かす最適解をともに導き出し、それは絡まって至高を目指す。この日、「グッバイ・ママ」(YAMAZENと佐々木茜のヴォーカルの掛け合いが見事の一言。彼自身も心に残るものがあったと、翌日、語っている)や「キャデラック」、「可愛いアノ娘」、「少しだけ優しく」、「ワイルドサイドを歩け」(下山淳がベースに持ち替えての演奏は深淵な世界を垣間見せる)など、オリジナル、カヴァー問わず、YAMAZENの名曲が数多、披露されたが、経年劣化などは無縁、時間を超え、いまがまさに旬であると言う装いで飛び出してくる。ルーツなロックやトラディショナルなソウルをなぞりながらもそれはまるで煌めく黄金のような輝きを増して届けられる。それはこの7人だからなし得ることではないだろうか。
前日同様、3部構成(アンコールが3部とでもいうべきヴォリュームだった)、2時間超えのステージは、この日もYAMAZENはセットリストがありつつも予定していた曲順通りに進行していない。それこそ、YAMAZENがYAMAZENたる由縁。彼の流儀だろう。セットリストにない曲を演奏し、演奏曲順も変える――あくまでもYAMAZENは自由奔放。予定調和や段取りとは一切、無縁である(笑)。メンバーも“聞いてないよー”と慌てながらもしっかりと対応していくのがThe 幌馬車である。それが彼らの流儀だろう。彼に段取り崩し(!?)について聞くと、YAMAZENは“決めつけるのは苦手、臨機応変にやりたい”そうだ。実は“MCで話したエピソードから思い付き、曲を変えることもある”という。前日はアンコールで演奏しながらも当日はセットリストになかった「タフじゃなきゃ」が急遽、演奏されている。実はその日、彼は足の調子が悪いことを話している。そこから“病は気から”ではないが、この曲を思い付き、いきなり演奏している。そんな思い付きをすぐ行動に移すYAMAZENもすごいが、それにすぐ対応できるThe 幌馬車もすごい。一筋縄ではいかないだろう。その音楽的な反射神経に驚かされる。
また、この日は自らの九州ツアーを終え、急遽、駆け付けた百々和宏が新たな乗組員として加わるという、飛び入りもあった。YAMAZENの名曲にして、Th eROCKERSの名曲でもある「可愛いアノ娘」で、ヴォーカルを取る。この日、ステージにはTH eROCKERSのメンバーの5人のうち、穴井、澄田、百々という3人が揃う、奇跡のような配牌、神の差配である。賑やかで華やかである。何か、この瞬間、下北沢に大きな花火が打ち上がったと、錯覚させる。百々の“いろんなものをもらいました。これからもお元気でいてください”という言葉は、演者に限らず、観客を含め、その場にいた誰もが思ったことだろう。
前日、佐々木茜はステージで延原から今回のライブに参加しての感想を質問され、“贅沢な時間です”と回答している。この日の終演後も佐々木は“贅沢な時間でした”と、語っている。そして“ありがたいことです。この言葉にすべてが凝縮されていると思うんです。こんな素晴らしいメンバーと一緒に演奏させてもらえる機会をいただけた。やりたい方はいっぱいいて、久しぶりにYAMAZENさんが東京でバンドスタイル、それも2日間もやる――お客さんを見てもスタッフさんを見ても皆さんが楽しみにして期待もしている。その中で演奏できたこと、本当にありがたい、とても贅沢なことだと、いまも思っています。2日間のライブ、リハーサルもあったので、3日間ですか、ご一緒させていただいて……すでに寂しいので、またの機会があればご一緒させていただけたら嬉しいと、心から思います。みなさんの力を借りたいなと思っていますので、引き続きよろしくお願いします”と言葉が溢れ出した。
ある意味、今回、コーラスなど、良い感じでフィーチャーされていたのが彼女ではないだろうか。“穴井さんが今回、考えて選曲されていると思うんですが、あの曲(「グッバイ・ママ」)はコーラスを入れて欲しいと言われたので、事前に聞いていたのですが、もともとの楽曲があったから、私がそこまでフィーチャーされるとは思っていなかった。やっていくうちにいろんなことが起こっていくのもバンドであり、ライブだと思っています。本当に素晴らしい歴史の一部を体感させていただきました。本当に素晴らしい先輩たちです”と語る。改めてアカネ&トントンマクートのメンバーであることを感謝しているようだ。“下山さんからお声かけ頂き、穴井さんに出会って、今回のプロジェクトに関われた。何か、修行は続きますが、転がりまくっています”と嬉しそうに語る。最後に“山部さん、本当に素晴らしい。たくさんの人に見て欲しい”と言葉を重ねる。ちなみにオヤジ率の高いThe 幌馬車だが、セクハラやパワハラは“一切なし、ただ、ただ体育会系だけ”のようだ。ご安心いただきたい(笑)。
やはり、たった“二夜”だけではもったいないというものだろう。延原は“俺、すごい若い時、プライベーツのステージで一緒にしましたけど、がっちりやるのは久しぶりです。昨年の「ベーシックフェスティバル」でも共演していた。楽しみながらだけど、もっとやる機会があって、俺もこうだからという態度も音楽の中でもっと見せたいな。そんなつもりでずっと付き合ってきているから。山部さんがレコーディングして作ったフォーマットがあって、そんな中で与えられたパートを一生懸命やったけど、俺はもっとこうやってやるけどさあ、どうなんだいっていうような……そういう真似をしてみたいなという、そういう気持ちを思いながらやりました”という。“もっともっと、バンドっぽいことをしたい”と、言葉を続ける。“山部さんも歳を取って、違う境地にきている。どこまでも上り詰めていく、沸点高いところまで、俺と一緒に行ってくれないのという気持ちがたくさある”そうだ。いずれにしろ、物足りないではないが、2回だけでは少なすぎると言うことらしい。“また、チャンスがあれば。そのチャンスを自分でも作りたい”と語る。
山部と共演経験の多い石井は今回のライブを“楽しんだ。ちょっと、山部の膝が可哀そう”と言う(山部の膝は骨折などではないが、現在、週3回のリハビリに勤しみ、完全な回復を目指しているそうだ)。“俺が共演する機会が多いけど、このコロナ禍で演奏もちゃんとできないし、バンドでのライブもこの3年間、やっていなかった。そういう意味でもちょっと心配だったけど、ある程度、YAMAZENも歌えたんじゃないかな。でも、もうちょっとできると思っています。ただ、前は喧嘩腰でやる世界だったのが、こっちも捉えながら演奏できるようになったのも自分も嬉しく感じる。YAMAZENがこうだからこういう感じかなと演奏できているから。わりとみんな、そういう感じがあった。YAMAZENを知っていてもほとんど聞いたことない曲もやっているから。それでも出来る。それは楽しかったです。いちいち、反応を見ながら出来たみたいな”と嬉しそうに話す。
今回、アカネ&トントンマクートに石井とともに加わった形になる澄田健は“2日間、楽しかったです”と、笑顔で語る。“あれだけ、リハやったのにサウンドチェックもせず、突然、始まった曲もある。エンディングにすごく拘ったのにやらなかった曲もある。でも、特に今日は『ワイルドサイドを歩け』が良かったな。素晴らしかった。まあ、山部さんに泣かされました(笑)。あとはいいんじゃないですか。僕も楽しかったし、お客さんも楽しんだ。欲を言えば、あと、5回くらい、このままツアーに出たい”と話す。澄田健と下山淳――片やTH eROCKERS、片やTHE ROOSTERZのメンバーながら共演は意外と少ないそうだ。澄田は“柴山(柴山“菊”俊之)さんの誕生日のイベントだったりとか、それくらいですね。でも俺は元々、ファンなんですよ。遠藤ミチロウさんの『破産』という名盤があって、その下山淳のギター、大好きなんです。下山さんと一緒にできる機会がなかったんですよ。例えばZのルースターズの時、下山さんのギターを聞いて、すごくシンパシーを感じていた。日本にこういう人がいるんだ。一人だけ、違うんだみたいな。そういうのが好きだし、自分もそうなのかもしれない。あんまりそこでシンパシーを感じる人はいなかったかもしれない。そこで下山さんのギターを、日本でこんな人がいるんだな。なんか、ちょっと、誉めすぎ(笑)。でもシンパシーを感じる人は少ないから”と恥ずかしそうに語る。一緒のバンドの一員になれたというのはどうでしたかと聞くと、“音を聞いて、みんなで会話するというのが出来るというのは、やっぱり醍醐味ですよね。ボブ・ディランのローリング・サンダー・レヴューの気分ですよ”と言う。確かに“激しい雨”は降らなかったが、“日本のディラン”がそこにいた。“山部さん、そういう色あるし、それにすごい憧れていた。まさにそれだなあと思って。ロックンロール・ワゴン、そんな感じです”と言葉を重ねる。
下山は“久しぶりだったし、まだ、いっぱい歌えているので、良かったです”と語る。自分が思い描いた感じで進めましたかという質問に下山は“そうだね。いい年齢になっているので、そのようにできたと思います。そんな昔みたいにガンガンやんない感じでね”と回答する。今後については“穴井さんが考えるんじゃないですか。(穴井さんが)リーダーなので、この場合は”と笑顔で返す。
いずれにしろ、7人がそれぞれに楽しみ、手応えも感じている。次のことも考えられそうだ。YAMAZEN旋風は全国でも吹き荒れるべきだろう。全国展開を希望する全国のロックファンがYAMAZEN&The 幌馬車の遠征を待っているのだ。
DAY4 2023年4月25日(火) 山部YAMAZEN善次郎と穴井仁吉――「海ほたる」の約束
あの“二夜の夢”を経験したなら問答無用、説明不要だろう。福岡の生ける伝説、山部YAMAZEN善次郎(Vo)と穴井仁吉(B)、下山淳(G)、延原達治(G)、佐々木茜(Dr、Vo)、そして石井啓介(Kb)、澄田健(G)、さらに飛び入りの百々和宏(G)という最強の顔ぶれがそろった山部YAMAZEN善次郎&The 幌馬車。4月23日(日)に埼玉県所沢「MOJO」と24日(月)に東京都下北沢「440」に吹き荒れたロックンロール旋風。そんな旋風には余波とでもいうべき、続きがあった。怒涛の2日間を経て、4月25日(火)に山部と穴井は東京湾を跨ぎ、神奈川県川崎と千葉県木更津を結ぶ東京湾アクアラインのパーキングエリア(PA)「海ほたる」にいた。
福岡BEAT革命の申し子が海ほたる。関連があるのか、関連がないのか、わからないが、数日前に穴井から“山部さんに海ほたるを見せたいから来てくれ”と言われたのだ。その瞬間を書き留めて欲しいと言うことらしい。その言葉に昨2022年10月に行われた「穴山淳吉」の山形県鶴岡での公演の際、下山が“自分の生まれ故郷を穴井に見せたかった”という言葉を思い出していた。彼ら(山部と穴井を始め、今回のツアーマネージャー、そして地方在住の彼らの支援者達)とは海ほたるの駐車場で待ち合わせる。聞けば、穴井の運転で、海ほたるの前には国会議事堂にも立ち寄り、記念撮影もして来たと言う。穴井のSNSには国会議事堂を前に佇む、山部の写真が掲載されていた。まるで選挙ポスターのようで、「YAMAZENを国会へ! 日本を変革するのはこの男だ!!」なんていうコピーが似合いそうだ。
午後1時を過ぎ、2時近かったが、食事はまだということで、海ほたるの5階にあるマリンコートのフードコートへ直行する。フードコートには海鮮丼(ち~ば丼)や肉丼、カレー、ラーメン(あさりラーメン)、そば、うどん……など、より取り見取りだが、二人は迷うことなく、ちゃんぽんを選択。流石、九州人である。
せっかくの機会である。遅い昼食を取る二人に今回の“ツアー”について、話を聞かせてもらった。穴井は“山部さんはこのところ、弾き語りばかりだったけど、バンドを率いて、歌う山部さんを見たかった”と言う。そもそもは穴井の活動を応援する福島在住の方からの進言が契機だったそうだ。改めて穴井はバンドで歌う山部を見たく、彼に声をかけたという。数年前のことらしい。その時は実現しなかったが、昨2022年、改めて山部から声かけがあり、山部と活動をともにする石井啓介、山部と共演経験のある澄田健という3人でラインナップを決めて行ったそうだ。それから下山淳、延原達治、佐々木茜と言うアカネ&トントンマクートのメンバーが揃う。そのラインナップを聞いて、山部は“もう文句なしという感じ。下山とは30年前、ルースターズの時にセッションしたけど、それは本当に一緒にやるのは初めてやったこともあって、ただ、演奏を一緒にしただけ。下山は昔から知っているけど、今回、改めて、ちゃんと、やってみたい”と思ったという。
ライブの前日、4月22日(土)に山部が福岡から東京へ。彼も参加してメンバー全員でリハーサルをしたが、その時点で確かな手応えを感じたそうだ。実際のライブは説明不要、この7人だからこその化学反応が起こった。山部は“茜ちゃん、良かったね。素晴らしい”と絶賛する。ドラムスだけでなく、コーラスも務める佐々木。それもただのコーラスではなく、デュエットのパートナー。かつてエリック・クラプトンのコーラス隊にいたイボンヌ・エリマンを彷彿させる。コーラスにデュエットに彼女の歌が山部のヴォ―カルを引き立てていく。二人のソウルショーは華やかで艶やかだった。
また、山部の“決め込んで作り込むのはすかーん”という“臨機応変”なセットチェンジに戸惑いながらもメンバーはそれにしっかりと付いていく。穴井は“決め事で作り込んでも山部さん、壊すから鍛えられると思う。なんか、山部さんはアドリブでもそこはいらんって、平気でNGを出す。普通、下山や澄田にはそういうことを言う人はいないけど、むしろ、そう言われて喜んでいる。そして、それが正解になっている。バンドリーダーとしてバンドを完全にコントロールしている”と感嘆混じりに答える。
山部は実際、ライブをして次の展開も見えてきたようだ。山部は“やっぱり下山をうまいと思ったし、澄田もすごい。延原はフィーリングでナンバーワン。このメンバーで、また、やりたい。東京や埼玉だけでなく、横浜などでもやりたい”と語った。
勿論、それには両日ともSOLD OUTという会場いっぱいに詰め掛けた観客と、演奏者を盛り上げる観客の後押しも大きかった。山部は“「MOJO」も「440」もすごく良かった。勿論、お客さんの反響で、こちらの演奏もごろっと変わるから”と満足げに話す。穴井は“総立ちの景色は、改めてライブが戻ってきたことを感じた”そうだ。
穴井は“ツアーだけでなく、レコーディングなども出来れば”と言う。新曲に限らず、「グッバイ・ママ」など、“このメンバーでやったら、面白いものが出来る”と言う手応えを感じたらしい。実は、「グッバイ・ママ」(1985年にリリースした山善&DYNAMITEのアルバム『DANGER』収録)の歌詞はカミユの「異邦人」を読んで主人公の台詞を引用しているという。小説はある日、母親が亡くなったという電報を母のいた養老院から主人公のムルソーが受け取る。小説の冒頭は彼の「きょう、ママンが死んだ」という台詞で始まる。穴井は“若い映画監督が撮る、月並みだけど、ロードムービーに合う音楽、主題歌で使ってもらいたい”と語る。それだけ、深みのある作品ということだろう。
山部は1954年9月25日生まれ、68歳である。60年代、70年代のロックの一番いい時代をリアルタイムで知り、それを自らのものとして作品にしてきた。同時に当時のアメリカンニューシネマやヌーベルヴァーグなど、映画や小説なども浴びるほど、見て、読んできたという。そんなことも新しい世代に知らしめ、引き継いでいきたいそうだ。かつて鮎川誠や松本康がしてきたことを自らの世代の責任として行うべきと感じている。それは彼らの夢ではないだろうか。
過去の音楽をただ、継承するだけでなく、現在に再生しようとしている。山部の音楽自体はロックンロールやR&Bなど、ルーツミュージックやサザンロック、スワンプミュージックなどを踏襲したものだが、決して懐古的なものではなく、下山や澄田が加わることで新たなものとして蘇る。穴井は“いまの若者で、ちょっと、洒落た感じでやっているやつ、いるじゃないですか。サウンドとかで。ただのスワンプミュージックになっていない”と言っていたが、テデスキ・トラック・バンドやアラバマ・シェイクス、ベック、Gラブ&スペシャルソースなどにも通じるものがある。
ふたりは食事を終えると、喫煙スペースで煙草を燻らせ、海ほたるからの景色を見て回る。生憎の曇天、視界不良ながら川崎側の眺望は遠くにスカイツリーが揺らぎ、横浜ベイブリッジが霞む。川崎の湾岸に京浜工業地帯が横たわる。夜であれば、絶好の夜景探索ができただろう。木更津側は「木更津キャッツアイ」でお馴染みの恋人の聖地「中の島大橋」が見える(実際は見えないが、とりあえず見えた気になる)。そして君津側には京葉工業地帯が横たわる。京浜、京葉、両工業地帯は日本の高度成長を支えたところでもあるのだ。
戦後の日本経済を支えた鉄鋼業の中核だった八幡製鉄(現在の日本製鉄)は、半世紀前、1965年から1971年代にかけて関東進出。それに伴い、同社社員と家族合わせて二万人以上が北九州市から千葉県君津市に移住している。「民族大移動」と称されたらしいが、そのため、君津には九州ラーメンやちゃんぽんを北九州出身へ提供する店もたくさん出来たと言う。
北九州出身ではないものの、二人がちゃんぽんを食べたのは偶然かもしれないが、必然と無理やり言うことも可能ではないだろうか。
山部は海ほたるから羽田へ渡り、夕方の便で福岡へ旅発った。その翌日、彼は穴井とのドライブのことをSNSに上げ、彼に照れながらも感謝を伝えている。
しかし、何故、海ほたる――穴井は“行ってみれば、こんなものですけど、すぐ帰るのもせっかくだから見て欲しかった“という。山部にはわざわざ東京まで来てもらった。それならば今、自分が住む東京を見てもらいたい。ある意味、おもてなし。心遣いでもある。穴井にとって、山部は単なる音楽の先輩であるだけでなく、硬い絆で結ばれた友達でもあるのだろう。
町と町を繋ぎ、人と人を結ぶーーそんな中継地点が海ほたるだ。穴井がやろうとしていることもそんなことかもしれない。山部YAMAZEN善次郎という才能を新しい世代に伝える。
The幌馬車の疾走、次はいつになるか。海ほたるでの“約束”はきっと果されるだろう。彼らの音楽の“全国展開”を希望するものも少なくない。全国のロックファンに伝えるべき。私達に使命らしきものがあるとしたら、そんなことかもしれない。これを読んだ方は、福岡に山部YAMAZEN善次郎という最強で最高にカッコいい大人の音楽家がいることを“拡散”して欲しい。再会の時は一日も早いことを祈る。穴井を始め、The 幌馬車の乗組員もそれを望んでいる。また、新たな乗組員も増えるかもしれない。私達の楽しみはこれからも続いていきそうだ。
なお、アカネ&トントンマクートは7月14日(金)東京・高円寺「JIROKICHI」公演後、同月17日(月・祝) 大阪「ハウリンバー」、18日(火) 京都「拾得」、19日(水) 名古屋 「Valentine Drive」を回るツアーに出る。アカネ&トントンマクート、そしてこの4人でのツアーは初めてになる。
【アカネ & トントンマクート】
佐々木茜(Dr、Vo)/下山淳(G、Vo)/穴井仁吉(B、Vo)/延原達治(G、Vo)
7/14(金) 高円寺 JIROKICHI
open 18:30/start19:30
adv 4,000(+1D)/door 4,500(+1D)
※ 6/16(金)19時より、ジロキチHP《予約フォーム/STAGLEE》にて予約受付開始です
7/17(月祝) 大阪 ハウリンバー
7/18(火) 京都 拾得 ※
7/19(水) 名古屋 Valentine Drive
※ご注意※
7/18京都は下山淳 欠席です。(ゲストあり。ゲストは澄田健に決定!)
《前売り予約》
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