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福岡は、今一番燃えているロック・シティだ!――1979年“L-MOTION”の衝撃!

最終更新: 1月22日


『LIVE L-MOTION 6 th / V.A.』 1979年の『第6回L-MOTIONグランプリ大会』のライブ・アルバム。ザ・ロッカーズを始め、ザ・ルースターズの前身、人間クラブ、キャプテンハーロック、国士無双、KAJA(カヤ)、ジギー(ZIGGYとは別バンド)などの演奏を収録。

まだ、「めんたいロック」なる言葉が生まれる前のこと。1979年7月28日(土)、29日(日)、福岡スポーツセンターで開催されたYAMAHA主催のバンド・コンテスト「第6回L-MOTIONグランプリ大会」。その時の模様を「月刊ロック・ステディ」の1979年11月号に掲載している。

同記事ではデビュー前のモッズ、ロッカーズのコメントを掲載しているが、なんと、その時の取材メモも出てきた。実はロック・ステディのバックナンバーを探すため、倉庫で“宝探し”をしていたら、モッズの単行本(アリーナ37゜C 6月号臨時増刊『[ザ・モッズ大研究]BACK TO REBEL』、宝島刊『THE MODS LET IT ROCK』)とともにB5の原稿用紙(月刊ロック・ステディの名入れで、200字詰め)に書かれた取材メモが“発掘”されたのだ。

同メモには、当時、浦田賢一が所属していた才谷音楽出版のB5のリポート用紙もホチキス留めされていた。同事務所の方が博多のロックの歴史を簡単に説明したものである。

国宝級の発見。我ながら物持ちの良さに驚く。月刊ロック・ステディ1979年11月号の記事を改めて見ると、コンテストを全部見たわけではなく、審査発表前に前年のグランプリバンドのモッズ、そして、グランプリ発表後、ロッカーズの演奏を見たようだ。他にはフライングバース、キャプテンハーロックなども見ているらしい(!?)。

その辺の記憶は曖昧だが、終演後の楽屋、もしくはシナ・ロケやショットガン、モッズ、山部などが怒涛のセッションを繰り広げた打ち上げ会場のライブハウス「徒楽夢」で、彼らに取材している。同記事にコメントも引用されているが、せっかくだからメモを参考にコメントを新たに付け加え、改めて記事を紹介する。

ロッカーズはデビュー時のメンバーで、陣内孝則(Vo)、谷信雄(G)、鶴川仁美(G)、穴井仁吉(B)、船越祥一(Ds)というラインナップ。

陣内が質問に答えている。

「メンバーは高校時代からの仲間の中から、気の合うやつをピックアップした。最初は初期のストーンズ、ゼム、キンクス、スモールフェイセスのコピーから。サンハウスの影響も受けている。高校の頃、よく見に行った。博多の伝統を、いまのブーム前から意識していた。昔から好きで、時流に乗っているわけではない。今年に入ってからは日本語のオリジナルのロックンロール、ブリテッシュビートを基盤としたオリジナルのパワーポップを作りたい。僕らは『東京ロッカーズ』やイギリスのパンクの物まねじゃない。むしろライバルだと思っている」

「多夢」や「徒楽夢」などのライブハウスで演奏している。「東京ロッカーズ」とも共演しているという。

「オリジナルを増やし、音をまとめて、東京に出たい。東京の目をこっちに向かせたい」と語っている。


グランプリ受賞を記念して贈呈されたメダル(穴井仁吉所蔵)

ロッカーズは同コンテストでグランプリを受賞しているが、その感想も今の陣内を彷彿させる。

「一番最後に呼ばれた。呼ばれる前まで、YAMAHAの悪口を言っていた。でも、選ばれて嬉しかった(笑)」

他にもいろいろと、興味深い発言もあるが、これくらいにしておく。面白いのは取材メモにはバンドの連絡先として、穴井の自宅と仕事先の電話番号が書かれていたこと。穴井は天神の地下街で働いていたようだ。

モッズは森山達也(Vo、Harp)、北里晃一(B、Cho)、後藤昌彦(G、Cho)、宮本秀二(Ds、Cho)というラインナップ。デビュー前の、いわゆる“第2期モッズ”である。石井聰亙(現・石井岳龍)監督の映画『狂い咲きサンダーロード』のサントラの録音のため、苣木寛之や梶浦雅裕が集まるのは、もう少し先のこと。

パーソネルに“Cho”を入れることを敢えて指定しているところが、彼らの拘りなのだろう。コーラスに力を入れていたことが伺える。ロッカーズと同じく、取材メモに連絡先として森山と北里の自宅の電話番号が書かれていた。

当時の彼らの平均年齢は22歳(!)。4年前に結成され、ライブハウス、コンサート、ダンスパーティ(!)を中心に活動。「東京ロッカーズ」とも共演している。

森山は「僕たちのルーツはフーやスモールフェイセスなんだ。そういうのが好きで筋金入りでやってきた」という。

サンハウスにも影響を受けている。コステロなどのカバーもするが、オリジナルが35~40曲くらいあると豪語する。いまにして思えば、デビュー時、アルバム1枚分しか、オリジナルがないような凡百のバンドとは一線を画す。後に当代随一のソングライター、メロディメーカーとして、名曲を作り続けるのだから当たり前かもしれない。

「人にとやかく言われても関係ない。これからはバリバリと中央で、やりたい。どんなものか、試してみたい。博多は好きだけど、ここにだけというのはない」と、東京を見据え、全国制覇を虎視眈々と狙うというところだろうか。

さらに同記事には、コメントは引用されていないが、当時は“元「田舎者」”の山部善次郎にも取材をしていたようだ。

山部を取材したメモには「全部は本物だった。博多は東京に絶対、負けないと思っていたが、『L-MOTION』で、評論家が褒めて、それを確信した。もっと、良くしたい。博多の地域性も出していきたい。俺は俺で頑張ろう。ほんまもんの音を出したら、認めてくれる人がいる。それを信じて、俺の歌を聞かなければつまらないものになるぞという自信を持ってやっていく。俺は俺。先輩のコネを頼まんで、自分の姿勢を信じる。といっても先輩は立てよう。自分の音を作ろう。サンハウスから受け継いでいく、俺たちは最後のピラミッド(山部→モッズ→ロッカーズ)。恰好はパンクっぽくても礼儀正しくなければ」と、書かれていた。いかにもな山善である。

同記事はモッズやロッカーズの誕生に関して、サンハウスの影響を指摘し、田舎者、ブロークンダウンBB、山部善次郎などにも言及している。それに関しては才谷の方が書いた「博多ロック・ヒストリー」が大いに役に立っている。同記事には謝辞として、その方のお名前も入れている。機会があれば、そのまま掲載したいくらいだ。

バンドだけではなく、ライブハウスやイベンターにも取材をしていたようだ。ライブハウスの「多夢」のマスターで、博多の音楽シーンの情報発信する雑誌『ブルージャグ』にも関わった管忠雄(残念ながら既に故人である。2010年8月には山部などが参加し、管の一周忌追悼ライブも行われている)も取材していた。当時の博多のロック・シーンの状況を語っている。「L-MOTION」は博多の全部ではないと、断言する。同コンテストには出ていないJOYやスイート・バージニア、シュールモアなどの名前も挙がった。また、甲斐バンドやチューリップ以外のシーンも語る。さらに、当時の放送局やイベンターなどについても彼なりの分析を交えつつ、語っている。福岡の重層的で、奥深い状況を指摘もしているのだ。

また、取材メモを見ると、現在は九州を代表するイベンターとなった「BEA」の方にも話を聞いているようだ。サンハウスやモッズ、ロッカーズなどのロックだけでなく、チャゲ&飛鳥、永井龍雲など、フォークも紹介していただいた。博多の音楽シーンの活況ぶりを伝える。


「月刊ロック・ステディ」1979年11月号(記事掲載に関して、田中雄二様、ばるぼら様にご協力をいただいた。改めて感謝!)

同記事では「博多は、今一番燃えているロック・シティだ!」とタイトルし、「この博多のムーブメントに全国のロック・ファンは注目してもらいたい。何故ならば、僕はこの夏、博多に来て博多こそ、今一番燃えているロック・シティだと確信したからだ」と締めくくっている。おそらく、同記事はチューリップや井上陽水、甲斐バンドなどを紹介する際の常套句である“福岡は日本のリヴァプール”的なものではなく、サンハウスから始まる福岡のロック・シーンをちゃんと紹介した記事で、東京のメディアとして初のものであると自負している。いずれにしろ、79年の夏を境に私の福岡詣でが始まった。ちなみに、この時は、まだ、“博多”と“北九州”の区別がきちんとできていなかったため、”博多”になっている。申し訳ない。本掲載に関して、タイトルを変更した。

あれから40年以上経つが、その直感は間違っていなかったと確信する。当時のバンドがいまだに語られ、かつ、伝説に埋もれることなく、そのメンバーがいまも現役で活躍していることがその証明ではないだろうか。


ライブ写真提供:Keiko Handa様。雑誌『Blue Jug』取材にて撮影『L-MOTION』にゲスト出演したシナロケのパフォーマンス。右:地元雑誌に掲載された『第6回L-MOTIONグランプリ大会』の告知

ちなみに“宝探し”の中で、1988年の“THE ROOSTERZ”解散時に宝島の記事のために、大江慎也や花田裕之、井上富雄、池畑潤二、下山淳、安藤広一、灘友正幸、穴井仁吉、三原重夫…など、ROOSTERSとROOSTERZの歴代メンバーに取材したメモとテープも出てきた。いつか、機会があれば紹介してみたい、と勝手に考えている。掲載してもいいかな!?




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