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FUKUOKA BEAT REVOLUTION

新高塔山伝説!――BEATの橋を架ける『高塔山ロックフェス SUNNY DAY SPECIAL』

2年ぶりである。北九州のロック・シーンにとって、数々の伝説を生んだ“聖地”とでもいうべき場所、北九州市若松区にある高塔山野外音楽堂。この2021年11月21日(日)に同所で『高塔山ロックフェス SUNNY DAY SPECIAL』が開催された。昨2020年はコロナ禍のため、中止を余儀なくされたが、今年はこの状況下、「ロックフェスと感染症対策の両立」をテーマにどのようにすれば開催できるか――同フェスの主催者であるMeena & The Gryder(ミーナ&グライダー)の倉掛“HIDE”英彰は『晴れた日の高塔山で』というメッセージを同フェスのHPに掲載している。


“今できること。今しかできないこと。感染症対策と生音を浴びる場の両立をテーマに、プランニングした新しいフェスのヒントは、テレビショーにありました。60年代に海外から発信されたロックミュージックは、モノクロのテレビの中。新しい音楽、魂を揺さぶるそのヴァイブは、世界中の若者を虜にし、今あるPOPミュージック全ての基礎となるほどに衝撃的だったのです。そんなテレビショーをコンセプトとして、WEB配信用のカメラで囲まれたステージ、距離を保ちながらもヴォルテージを高めてくれる良質のロックミュージック、大声で叫んだり、お酒のハッピーはなくても、野外ならではの解放感、そして自由をあらためて体感いただきたい。そんな観覧方法でご堪能いただく事こそが、私たちが提案する今しかできないこと。それがコロナ禍開催の『高塔山スタイル』です”



いわゆる有観客だが、入場者数は限定、そして会場だけでなく、配信でもライブを見てもらうというスタイルである。通常のイベントとは違うもの。HIDE自ら“スピンオフ”と名付け、配信で収録した映像などを含め、記録映像の制作も予定されているという。10月1日に緊急事態宣言の解除やまん延防止等重点措置などはなくなったが、イベントに関しての制限は部分的に緩和されたものの、基本的にはそのまま。いずれにしろ、このコロナ禍の新しいルールに基づいた、新しいスタイルでの開催である。開催日が近づくにつれ、感染者が激減、ライブやイベントの規制や制限も段階的に解除されるなど、状況は良くなりつつあったが、予断は許さない。このイベントの成立過程を忘れてはいけない(開催を告知した時点では新型コロナウイルスの変異株である「オミクロン株」などの名前さえ出ていなかった)。


当然、感染しない、感染させない――そのため、ミュージシャンやスタッフだけでなく、取材関係者も抗原検査が実施された。抗原検査キットを事前に送ってもらい、開催日の前日、検査キットの結果(鼻腔部分に減菌綿棒を挿入し、粘膜表皮を採取。減菌綿棒を検体抽出液に浸しノズルを挿入する。それをテストプレートに3滴滴下し、15分待つ。陰性、陽性はテストプレートの線上に表示されるというもの)を撮影して、事務所へ送たなければならない。陰性であることが証明されないと、その場に足を踏み入れることはできないのだ。それだけ、細心の注意を払い、ことに臨んでいる。


改めて“高塔山伝説”とは何かを繰り返しになるが、HPから引用しておく。何故、高塔山で開催されることに意味があるのか、わかるだろう。


“1962年、東洋一の吊り橋『若戸大橋』の開通記念で開催された『若戸博』。その会場となる事で整備された『高塔山公園』、そして『高塔山野外音楽堂』。まるでゴールデンゲートブリッジとハリウッドボウルのカップリングともいえる当時のモダンなランドマークが、シーナさんの故郷『若松』には存在する。『ロックな街』北九州若松から、やがて You May Dream!『シーナ&ロケッツ』が旅立ち、高塔山で産まれた『ルースターズ』のサウンドが日本のロックに革命をもたらした。その後もアップビート、ゼロスペクター等、次々とシーンへ駒を進める中、プロデューサー倉掛“HIDE”英彰『ex.NEW DOBB』もメジャーデビュー。東京へと向かった。『シーナ』の想いが詰まった1つの場所、『鮎川 誠』という1人の存在が街を変えた。忘れられない1976年の冬、HIDEが大江慎也、池畑潤二 両氏と共に『バラ族』としてステージに立ったその日こそが、鮎川夫妻との出会い『未来を予感した日』だった。そんな体験、当時の空気感こそ、次世代へと語り継がれてほしい。シーナさんが残してくれた『高塔山伝説』のリアルだ。”


そんな伝説を抱く場所である高塔山で行われた2年ぶりのロックフェス。『晴れた日の高塔山で』というテーマ通り、当初、荒天が予想されていたが、幸いなことに天気予報が外れ、秋晴れになる。緑に囲まれた会場は、遠くに洞海湾、若戸大橋を望む。心地よい環境での開演になる。



午後1時過ぎに司会者の挨拶と共にMakoto & kazのライブがスタートする。元BOØWYのドラマーにして、“ミスターエイトビート”、“原子のドラム”の異名を持つ高橋まことと北九州出身の“soul guitar”を合言葉に魂を込めギターを掻き鳴らすギタリストのkazのユニットである。二人は心地良いビートを叩き、弾き出す。そして、kazが開口一番、“ライブハウス高塔山へようこそ”と告げる。いうまでもなく、かのBOØWYの初の武道館で氷室京介が言い放った言葉へのオマージュである。それは“ライブハウス高塔山”のオープニングに相応しいものだろう。彼らのステージでは「Bad Feeling」や「Dremin!」など、BOØWYのナンバーもカヴァーされた。


続いて登場したのは横道坊主の中村義人。前回、2019年はバンドとして出演したが、今回はソロとして出演。長崎出身の彼らは高塔山の常連でもある。中村はこのコロナ禍によって、バンドとしての活動が制限されたため、ソロとして各地を巡っていた。そうした活動の中からソロ・アルバム『1964 -Nineteen Sixtyfour-』(中村は1964年2月5日生まれ。横道坊主のHPによると長崎への感謝の気持ちを込めた「1964 -Nineteen Sixtyfour-」を筆頭にアコースティックソロのライブで育てられた4曲に加え、新型コロナを題材に新たに制作された楽曲をボーナストラッックとして収録されているという)を2020年11月にリリースしている。ハードな横道坊主から一転、メロウなアコースティックギターの弾き語りながら心地良いビートを紡いでいく。特にソロ・アルバムのタイトルトラックは感謝と祈りの歌でもあり、生まれ故郷や家族への無垢な愛が歌われ、バンドとは、また、一味違う魅力を放つ。この日も披露したが、歌やギターだけでなく、むせび泣くようなハープも琴線に触れるものがある。


続いて元すかんちのROLLYとのコラボレーションで知られる北九州発のグラマラスでグリッターなバンド、NEO FANTASTICが登場。音楽的にも人脈的にもサンハウスや南浩二の遺伝子を持つバンドである(ヴォーカルのHURRICANEは南浩二のTHE CONSTRICTORSのメンバーだった)。彼らも“高塔山”の常連である。その華やかで艶やかな音の間に覗く人懐いポップさが聞くものを虜にしていく。「恋はHで」や「恋は決心」などを聞くと、“GS”っぽいというと誤解を招くかもしれないが、いい意味での下世話さがアングラな音楽性と共存する。不思議な魅力を持つバンドだ。彼らの演奏中に晴れていた空が暗転。雨が降って来る。その時は、まだ、熱くなった心と身体をクールダウンさせるお湿り程度だった――。




NEO FANTASTICのステージの後、ステージには雨を防ぐため、赤いテントが張られる。そして北九州の首領、福嶋伊玖磨率いている190Rが登場。会長こと、九州音楽業界のBOSS(いまなら“BIG BOSS”か)福嶋は約45年前、福岡県筑豊で「エレクトリックファミリー」を設立。イベンターとして多くのコンサートやイベントの企画・制作を手がけ、北九州市黒崎にあるライブハウス「マーカス」の運営にも携わる。「九州から音楽を発進!」をコンセプトに「EFコーポレーション」を設立し、2003年に175R をメジャーデビューさせている。昨2020年2月25日(火)、東京・下北沢「GARDEN」で開催された~KAICHO"69"BIRTHDAY SPECIAL LIVE~『九州音楽業界のBOSS福嶋会長を慕うミュージシャンが一同に集まりスペシャルバンドを結成し祝う夜』には横道坊主、鮎川誠、延原達治、百々和宏、ウエノコウジ、宮田和弥、三宅伸治、穴井仁吉、梶浦雅弘、花田裕之、下山淳、市川勝也、池畑潤二……など、錚々たるメンバーが集結している。一昨年の高塔山にも出演、強面の風貌とは裏腹にはっぴいえんどやPYGのナンバーを味わい深いヴォーカルでカヴァー。この日もPYGの「花・太陽・雨 」、 「自由に歩いて愛して」など、滋味溢れる歌と演奏で会場を沸かす。博多弁で歌ったオリジナル「クラスゾキサン」(“くらす”は博多弁で、“殴る”こと、“キサン”も同じく博多弁で“貴様”のこと。“殴るぞ、貴様”という意味になる)、そして若松を歌い込んだエディ潘の「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」などを披露する。


第一部の締めはこのフェスを主催者として仕切る倉掛“HIDE”英彰率いるMeena & The Gryder。HIDEは1986年にNEW DOBBでメジャーデビューを果たし、沢田研二などへの楽曲提供でも知られ、現在は地元、北九州を拠点に福岡の様々なイベントやセレモニー、キャンペーンのテーマソング(北九州市長を始め、多くの観光大使が参加した動画「HAPPY KITAKYU」のエンディングテーマや飯塚オートレース公式イメージソング「AUTO RACE」)を手掛けるなど、北九州のレジェンドとリアルを伝えるアーティストである。その彼が愛妻、ミーナと結成したのが同バンドだ。2015年には若戸大橋をイメージした1stシングル「赤く塗れ!」をリリースしている。HIDEは”RAINY DAY SPECIAL”と自嘲気味に語ったが、彼らの出演時になると雨は一段と強く降る。今回は裏方に専念し、あまり表に出ないHIDEだが、このときばかりは思い切り、弾け、生きのいい音を聞かせてくれる。「BLACK WOLF」や「Distant Lover」など、NEW DOBB時代のナンバーも披露されたが、これはミーナの要望だという。まさに伝説の高塔山で、東京進出の契機となったバンドのナンバーをいま、歌う。何か、必然のようなものを感じさせる。


第一部と第二部の間には協賛している専門学校の背骨コンディショニング協会・創始者の挨拶があるなど、“北九州ローカル”がこのイベントらしく、微笑ましくなる。同フェスの協賛には大手企業などではなく、地元の建設業社や商工会議所、医療法人、専門学校、企画会社……などが名を連ねている。大都市の大手イベンターが仕掛け、仕切るものとは、まったく違う。あくまでも地縁、血縁の縁結び、地元のために地元の人達が手作りで盛り上げる、北九州の祭りのようなイベントだ。


雨は止むことなく、ステージに激しく降りつける。そんな中、第二部のオープニングとして、大江慎也率いるShinya Oe & Mothers Sunshineが登場。メンバーはいうまでもなく、大江慎也(Vo、G)、高木完(G)、渡辺圭一(B)、梶浦雅弘(Dr)というラインナップだ。野外でのライブは久しぶりだが、ライブの回数を重ねる度にルースターズでもソロでもない、Shinya Oe & Mothers Sunshineとしての“CORE”のようなものが現れるつつある。演奏後、大江も言っていたが、演奏の初めはモニターが聞こえず、手探り状態だったそうだ。確かにノイズも多く、キーも外していたが、むしろ、豪雨による幻想空間の出現という自然の演出もあってか、それが「ヴィーナス」などでは“サイケデリックな夢の世界”へと導くかのようだ。そんな幻想的な世界の曖昧な輪郭が終盤へ向かって、焦点が合いだし、鮮明になっていく。豊穣なビートの乱舞、そしてエッジの立った歌と演奏が聞くものの脳天を直撃する。ラストはロックンロールビートの礎とでもいうべき、「I'M A MAN」を放ち、聞くものを音の法悦境へと誘う。まさに大江慎也無双状態、無敵のビートバンドの高塔山での咆哮である。久しぶりに生で見たShinya Oe & Mothers Sunshineはとてつもないバンドに成長していく、そんな予感を抱かせるものがあった。


大江に続き、HANADA・IKEHATA・ICHIKAWA・IMAIが登場する。メンバーは花田裕之(Vo、G)、池畑潤二(Dr)、市川勝也(B)、イマイアキノブ(G、Vo)というラインナップ。ROCK'N'ROLL GYPSIESへ下山淳の代わりにイマイアキノブが参加している。一昨年、下山が体調不良で、長期休養した際にイマイはサポートで参加している。今回は体調不良ではなく、スケジュールの都合である。この日、下山は延原達治とのツアーの真っ最中、名古屋でライブをしている。延原とのツアーの前にはイマイとツーマンライブを行っている。


「Love Hurt」、「ひとつ」、「空っぽの街から」を畳みかける。花田は“チャーリー・ワッツに”と、彼への思い込め、「Under My Thumb」を演奏する。おそらく彼らに限らず、北九州のバンドにとって、ローリング・ストーンズはロックンロールの入り口のような存在ではないだろうか。実は、この日、池畑は出演時間のかなり前に会場に駆けつけ、自らのドラムセットをバックステージに組んでいる。それにはチャーリー・ワッツの死後、キース・リチャーズが自らのSNSに投稿した無人のドラムセットに「CLOSED Please Call Again」のプレートが掛けられたものを模したものだったのだ。


イマイのヴォーカルもフィチャーされるが、いい意味で違和感はなく、そのままGYPSIESのメンバーと言ってもいいものがあった。それだけ、彼は馴染むと同時に変な自己主張をしないところが奥ゆかしい。HANADA・IKEHATA・ICHIKAWA・IMAIは痛快に飛ばす。先日、京都「磔磔」での“復活ライブ”を配信し、ROCK'N'ROLL GYPSIESの健在ぶりを見せつけたばかりだが、その好調さを維持し、この4人でしかだせない音をたたきつける。土砂降りにも関わらず、そんなアクシデントをものともしない、圧巻のステージを見せてくれた。



この日、最後にステージに上がったのはいうまでもなくシーナ&ロケッツ。 鮎川誠(G、Vo)、 奈良敏博(B)、川嶋一秀(Dr)の3人がステージに登場。「Batman Theme」、「ビールスカプセル」、「ホラ吹きイナズマ」と、爆音ビートを高塔山に轟かす。彼らが登場する頃には雨はすっかり止んでいる。なんというお膳立て。そして、「スイート・インスピレーション」で、鮎川とシーナの愛娘、 LUCY MIRROR(Vo、Tamb)がステージに飛び出してくる。彼女にとっては初の高塔山のステージ。その喜びをパフォーマンスで体現する。そして、“シーナの愛した高塔山、ここは皆のハッピーハウス”と叫び、「HAPPY HOUSE」を歌う。自分達の思いがシーナに届けとばかりに熱唱する。


鮎川はシーナが見ていると言う。そして一緒にいると発言した。シーナがここでロックをしたいと言った高塔山でのステージは格別ではないだろうか。その場にいた多くのものがシーナの存在を感じていたはずだ。


鮎川はこの日が結成43年目の最後のステージで、2日後の11月23日(火・祝)には新宿ロフトで44回目の誕生日ライブ(『新宿LOFT45周年×シーナ&ロケッツ44周年記念公演』)があることを告げる。そして、この数日前、11月19日の国の文化審議会で、北九州市の若戸大橋の重要文化財(建造物)指定が内定したことを告げる。若戸大橋は洞海湾を横断し若松区と戸畑区を結ぶ道路橋。渡船に代わる交通手段として当時の日本道路公団が約51億円で建設し、高度経済成長期の1962年に完成。国内初の海を渡るつり橋である。赤色の外観が特徴で、現在も1日3万台を超える車が通るという。若戸大橋ができたことで、若松と戸畑の行き来はしやすくなり、それがその後の交流に少なからず影響しているのではないだろうか。高塔山伝説には若戸大橋の存在を抜きにしては語れないだろう。まさにロックンロールの鼓動(“BEAT”)を伝える架け橋である。鮎川は“ROCK'N'ROLL GYPSIESがサンハウスの『おいら今まで』をやってくれた。シーナ&ロケッツもサンハウスの曲を1曲聴いてください、『もしも』です」”と語り、同曲を演奏する。何か、円環のようなものを感じさせる。考えてみれば、このフェスが元BOØWYの高橋まことのユニットで始まり、シーナ&ロケッツが締めくくることも何か、因縁めいたものを感じさせる。BOØWYやシナロケ、ザ・ルースターズ、ザ・モッズ、ザ・ロッカーズなどの「存在」や「活躍」がなければ日本にロックンロールのBEATはいまのように繋がっていなかったのではないだろうか。自らがBEATの架け橋となる。ロックンロールの夢と希望をいまに繋ぐ。


シーナ&ロケッツは「You May Dream」を歌い終えると、ステージから消える。観客からはアンコールを求める拍手が止まない。彼らがステージに再び登場する。鮎川は“今年の夏(現地時間、8月24日)に俺たちをロックに導いてくれたローリング・ストーンズのドラムのチャーリー・ワッツが天国へ召されました、俺たちはチャーリーのドラムを高校一年からずっと聴きよった。「Route 66」から、大江がやった「Not Fade Away」、「Mona」、「Around & Around」、最初からぶっ飛ばすロックンロール、全部チャーリーのビートで俺は大きくなった。今日は、俺たちの『ピンナップ・ベイビー・ブルース』のアルバムにも入れたけど、「(I Can't Get No) Satisfaction」をチャーリーに捧げます”と告げ、印象的なフレーズを弾きだす。本来であれば、花田や大江など、この日の出演者とともにセッションとなるはずだが、この日に限り、密を避けるため、ごく数人がステージに上がるのみ(元々、バックステージも密を防ぐため、基本的に出演1時間前に会場入り。出演後は会場に留まらず、順次帰るようになっていた)。それも2021年11月21日の“リアル”というもの。


鮎川は“ありがとう、高塔山”という言葉を残し、ステージから消える。時計は午後7時37分を指していた。約6時間にも及ぶ、“SUNNY DAY SPECIAL”は終わった。


“SUNNY DAY”とは名ばかり、“RAINY DAY”だったが、最初から最後まで“完走”したものは誰もが満足そうな顔をしている。フェスをお祭りとするならば、その場にいるものの誰もがフェスを盛り上げる主役だった。ミュージシャンは言うに及ばず、ステージ制作や配信のスタッフ、オーディエンス、メディア……など、誰一人欠けてもこの日のイベントは成り立たなかっただろう。


そして、それをまるごと記録しようとしている。この記憶に残る一瞬を記録に留める、それが“SUNNY DAY SPECIAL”である。そのため、ドローンやワイヤーカメラ等を可動、ステージ前に固定カメラを設置、撮影クルーがステージに上がるなど、観客の方の中には見にくく、カメラマンがいることで興を削ぐと感じるところもあったかもしれないが、しかし、それを含めてこの日の出来事である。


豪雨の中、スタッフは粛々と献身的に仕事をこなす。配信や報道のカメラマンはレインギアを纏い、ひるむことなく、ステージに挑み、カメラを向ける。また、音響チームは雨による機材トラブルもあってか、モニターが聞こえないということもあったが、それを見事に克服し、修復させている。北九州人の仕事に対する誠実さや矜持を見る思いだ。


なかにはボランティで手伝った方もいるかもしれないが、手抜きなど一切なし、遊び気分などではなく、真剣に取り組む。それはステージや客席だけでなく、入場口から客席へと至る受付や物販エリア、飲食エリアなどにも貫かれていた。入場時の検温や手指の消毒、清掃やゴミの分別、消毒液やウェットティシュを常備なども徹底していた。また、足の悪い高齢の男性が手すりを伝わり、降りてくると、それをみつけた会場案内のスタッフがすぐにかけ寄り、その手伝いをする。その男性は手間をかけたくないのか、足が悪いのを悟られないようにしていたらしいが、係員に見つかってしまったことで、ばつの悪さを感じつつも、そのスタッフのサポートを素直に受け入れる。そのやりとりに気遣いや思いやりがある。そんなところも北九州人らしさかもしれない。



また、オーディエンスも悪天候の中、様々な制約や制限があってもその場を退かず、ステージを見続ける。そんな我慢強さも北九州人ならではだろう(勘違いなら、申し訳ない!?)。


ここにいる誰もがドラマの主人公である。皆で作り上げるロックフェスだ。とりあえず、11月21日(日)のイベントは幕を閉じた。高塔山伝説に新たな章が加わった。しかし、それは始まりである。新たな伝説の終わりではない。HIDEが告知している通り、ドキュメンタリーが完成した時点で完結するものだろう。公開はいつになるかわからないが、その場にいれなかった方、配信を見れなかった方を含め、もっと多くの方に高塔山で起こったことを見てもらいたい。同時に来年こそは、入場者数限定や配信など、スピンオフではなく、普通の形で開催されることを切に願う。北九州のロッカー達が新たな橋を架けるところを体験してもらいたい。



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